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高額賞金、選手の低年齢化が生んだ“テニス界のとんでもない毒父たち”…娘の虐待告白にも「グラフのような選手になってほしいから」
posted2022/06/19 11:02
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph by
Getty Images
今週末、6月の第3日曜日は『父の日』。この日の制定はアメリカが発祥で、別の日に定めている国も多くあるそうだから世界的に盛り上がる日でもないが、何年か前、現在世界ランク6位のギリシャのステファノス・チチパスはこの父の日に少年時代の写真とともにメッセージをSNSに投稿した。
「気配りと愛と忍耐で子供たちを育ててくれる人。助言を与え、自らが手本となって教示してくれる人。父の日おめでとう」
チチパスの父アポストロフは、試合中に黙っていられずボックス席からあれこれ口を出すためにしょっちゅうコーチングの違反をとられることで有名になっているが、ステファノスはそれでも父をかばい続けている。父子の絆はときに他人には理解できないくらい強固で特別なものだ。
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しかしテニスの歴史には、チチパスのメッセージにあるような父親像など程遠い、ひどい“毒父”が存在した。テニスファンなら誰もが一人や二人、記憶しているに違いない。
その1)大会で泥酔、逮捕、出禁…娘への身体的虐待も
世界ランク4位までいったエレナ・ドキッチの父・ダミルを思い出す人は多いだろう。起こした事件の多さと下品さでは彼の右に出る者はおそらくいない。エレナは16歳だった1999年のウィンブルドンで予選から勝ち上がり、当時女王のマルチナ・ヒンギスも破ってベスト8に進出。旋風を巻き起こしたが、父親の蛮行はそのときからすでに始まっていた。前哨戦のバーミンガムの大会で酔っ払って暴れ、会場から追い出されると道路の真ん中に座り込んで交通を妨害し、逮捕されるに至った。
2000年のウィンブルドンでは報道陣のカメラを取り上げて壊し、出禁となった。同年の全米オープンではレストランのサーモンの大きさが値段に見合わないといちゃもんをつけ、2001年の全豪オープンではドローがエレナに不利になるよう仕組まれていると暴論を繰り広げ、登録国籍をオーストラリアからユーゴスラビアに変えてしまった。ドキッチ一家はもともとユーゴスラビアからの移民だ。
娘の虐待告白に「スティンガーミサイルで攻撃」と脅迫
2009年、エレナが父親からかつて身体的虐待を受けていたことをオーストラリアの雑誌の中で告白。記事が出た数日後、ダミルはベオグラード駐在のオーストラリア大使に対し、「オーストラリアが流すデマのせいで家族はめちゃくちゃだ。大使館をスティンガーミサイルで攻撃してやる」などと脅迫した。家宅捜索の結果、無許可の爆弾2個と弾丸20発などが見つかり、有罪判決となって約1年間収監された。