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落合博満からいきなり「お前は競争させねえからな」14年前、中日に移籍してきた和田一浩が感じていた“落合の怖ろしさ”
posted2022/04/12 06:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
KYODO
そして今回、同作が「2021年度ミズノスポーツライター賞・最優秀賞」に選ばれた。こちらを記念して、同作から「2010年の和田一浩」の場面を再び紹介する(全2回の1回目/後編へ)。【初出:2021年11月3日】
中日ドラゴンズの一行を乗せた大型バスは、夜の中央道を西から東へ向かっていた。
和田一浩は後部座席に火照った体を沈めていた。車内はほどよく冷房が効いているというのに、足先に不気味な熱と疼きがあった。バスの振動よりも速く強く、左足親指の付け根が脈打っていた。
2010年8月10日は陽が落ちても気温の下がらない熱帯夜だった。中日は甲府市の小瀬スポーツ公園野球場で横浜ベイスターズとのナイターを戦った。3番バッターとして出場した和田は、試合終盤の打席で自らの打球を左足に当ててしまった。
自打球と呼ばれるバッターにとっては付きものの災禍で、当たった直後は痺れた感じがする程度だった。そのため和田はそのままプレーを続けた。
大したことはないだろう……。
そう楽観的に考えていたが、試合を終えて横浜市内へと移動するバスに乗り込み、シートに腰を落ち着けると急速に痛みが襲ってきた。
翌日には横浜スタジアムで試合がある。左足から伝わってくる痛みから察するに、走るのはもちろん、歩くのでさえままならないだろう。
試合に出られるのか……。
和田はそこまで想像して、すぐにその思考を掻き消した。
出るか、出ないか。このチームではその2つに1つを自分で決めるしかないのだ。それが落合の下でプレーするということだった。
落合博満、最初の言葉「お前は競争させねえからな」
2年前に西武ライオンズからこのチームに移籍してきた和田は、落合という指揮官に抱いていた印象をがらりと変えることになった。
全体のためなら個人の犠牲も厭わない勝利至上主義者――この球団にくるまでは、落合のことをそう理解していた。