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《センバツ優勝から10年》 藤浪晋太郎が語った、浦和学院戦“あの大ピンチ”が生んだ成長「『大事なところで勝てない』と言われ続け…」
posted2022/03/24 06:00
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph by
SANKEI SHIMBUN
もう10年も前のことになる。2012年の春のセンバツを制したのは大阪桐蔭だった。そして最後のバッターをレフトフライに打ち取って、バックスクリーンのほうを向いたまま両腕を突き上げたエースこそ、藤浪晋太郎だ。
「春のセンバツは、『藤浪は大事なところで勝てない』と言われ続けた中での優勝でした。だから、『よっしゃあ、やってやったぞ』という気持ちが強かったですね」
実際、藤浪はボーイズリーグの頃から全国大会に縁がなく、いいところまで行っても勝ち切れなかった。大阪桐蔭でも2年の夏、背番号1をつけた藤浪は大阪大会の決勝戦で先発を任されながら、7回途中で降板。結局、東大阪大柏原にサヨナラ負けを喫して目の前で甲子園出場をさらわれた。試合後、泣きじゃくった2年生エースは、勝ち切ることのできない負の流れに苛まれていた。
その流れを断ち切ったのが3年春のセンバツだった。準々決勝の浦和学院との一戦、藤浪は同点の7回、ノーアウト満塁のピンチを背負う。
振れ幅は大きい。だからこそ期待してしまう
「あの場面がターニングポイントでした。点を取られていたら、そのままダダーッといかれていたでしょうね。踏ん張り切るべきところで踏ん張れたから、一皮剥けたのかなと思います。粘り強くと口うるさく言われて、そういう練習をして、そういう力を出せた。自分が持っている以上の力を出せたのかもしれません」
ノーアウト満塁からの三振、三振、三振――この絶体絶命のピンチを3者連続三振で断ち切った藤浪は、その後もピンチを背負いながら最後まで粘り、浦和学院に勝った。藤浪はその春のセンバツで初めての日本一に上り詰め、その自信を携えて夏も甲子園で最後まで勝ち切ったのだ。
ルーキーイヤーから3年連続で2ケタ勝利を挙げながら、この3年間は4勝。ポテンシャルの高さは誰もが認めるところだが、依然として不安定さは否めない。それでも春は矢野燿大監督から「ずっと安定してよかったのは晋太郎」と言われてタイガース恒例のキャンプMVPに選ばれた。藤浪の振れ幅が大きいことはわかっている。だからこそ期待してしまうのだ。10年前に甲子園で勝ち切ったときのように、今年の藤浪はタイガースに37年ぶりの日本一をもたらすことはできるだろうか。