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平昌を逃し、体調不良で1年休養…それでも心を折らなかった三原舞依の4年間「私からスケートをとったら何も残らない」
posted2022/01/09 06:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Asami Enomoto
そのひとことは、痛切に響いた。
「自分に怒りたいです」
フリーを終えて取材に応じる三原舞依の表情にも、限りない悔いがあふれていた。
昨年末に行なわれたフィギュアスケートの全日本選手権は北京五輪代表選考の最終対象大会だった。
拮抗した実力を持つ女子は、とりわけ、熾烈な代表争いが予想された。
その中に三原もいた。
12月23日、ショートプログラム。映画『レ・ミゼラブル』の楽曲に乗せて三原は完璧な滑りを見せる。ミスがなかったのもさることながら、「映画の中の彼女になりきって滑ることができたかなって」と言うほど情緒豊かにプログラムの世界を表してみせた。順位こそ5位だったが非公認ながら自己ベスト、上位と僅差につけた。
中1日おいて12月25日、フリーを迎えた。
三原は最終グループの中で2番目の滑走。
曲が始まる。三原は力みのない、滑らかな滑りを見せる。ジャンプも成功させ、そのたびに拍手が起こる。
数珠繋がりのように連鎖したミス
後半に入る。最初のジャンプはダブルアクセル-トリプルトウループを予定していたが、最初のジャンプがシングルになり、連続ジャンプをつけようとする動作からシングルアクセル-シングルトウループとなった。
次のジャンプは3連続のコンビネーションジャンプ。その2つ目に予定していた2回転を3回転にしたが回転不足に。さらに最後のジャンプでリカバリーを図り、本来は単独のトリプルループに2回転のトウループをつけた。だが、ダブルアクセルで失敗した際に連続ジャンプをしていると判定されていたことから、これが4つ目のコンビネーションジャンプとなり、3回までという規定に違反し大きく点を減らした。
フリーは133.20点で5位。総合でもスケートカナダの210.01点、イタリア大会の214.95点に及ばず、206.86点の4位で試合を終えた。選考の末、五輪代表には届かなかった。
数珠繋がりのように連鎖したミスの発端となったダブルアクセルの失敗の理由は自覚していた。しかも初めてではなかったから悔いは募った。
「アクセルの前のところでフェンスに寄ってしまいました。(昨年10月の)ジャパンオープンでアクセルに入るカーブでミスをしましたが、その反省がうまくできませんでした」