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“ガンバの元祖・天才”51歳礒貝洋光は19歳久保建英をどう見る?「プレーよりもスゴイのは…」 

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栗原正夫

栗原正夫Masao Kurihara

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photograph byJ.LEAGUE

posted2020/10/10 17:02

“ガンバの元祖・天才”51歳礒貝洋光は19歳久保建英をどう見る?「プレーよりもスゴイのは…」<Number Web> photograph by J.LEAGUE

ガンバ大阪の中心選手として活躍した礒貝洋光。日本サッカーの天才たちをどう見ているのか?

 バルセロナから帰国した際には、当時ミランに所属していたオランダのスター選手、フランク・ライカールトの髪型を真似てみたり、スペインに戻るつもりで日本にいながら欧州時間で生活していたこともあったと振り返る。

「ライカールトを見てやっぱりドレッドヘアだろと思ったけど、パンチパーマみたいにグリグリになっちゃったことも(笑)。当時は漠然と(将来は)海外でやるんだろうというイメージで毎日夜中まで起きていて、朝方から活動するなど1人ヨーロッパ時間で生きていたときもあった」

「木村和司さんとの競り合いでケガするとはね」

 そんな礒貝の心を折った要因のひとつがケガだった。

 92年、東海大を3年で中退し、ガンバ大阪入りした礒貝。翌年に開幕するJリーグのプレ大会として開催されたナビスコカップ初戦の横浜マリノス戦に先発出場。しかし、開始直後に負傷すると、わずか7分でピッチを去ることになった。

 それは礒貝にとっても、ガンバ大阪にとってもプロとして挑む初の公式戦だった。

「開始直後の競り合いで足を踏まれてね……。代えてほしいとベンチに言ったら、当時コーチだったヴィタヤ(・ラオハクル)が開始3分で交代するわけにはいかないと激怒していて。結局、痛みが酷くて動けないので、そのあと少しだけやってから交代したけど、当初の診断では問題ないと言われていた足首は、後々痛みが引かずに調べたら剥離骨折ということだった」

 礒貝の記憶が正しければ、中盤で競り合ったのは80年代に日本代表で10番をつけていたFKの名手・木村和司だった。

 そのケガが原因でのちに足首にボルトを埋め込む手術をすることになったが、以降、術前の感覚に戻ることはなかったという。

「柱谷哲二さんのような選手にガツンと当たられてケガをしたなら納得もするけど、よりによって(テクニシャンで守備を専門にするわけではない)木村和司さんとの競り合いでケガするとはね(苦笑)」

いちばんやさしいボールをくれたのは礒貝

 かつて帝京高校で礒貝とホットラインを形成し、のちに名古屋グランパスなどでストライカーとして活躍した森山泰行は、こんなことを言っていたことがある。

「プロでもいろんな選手とやったけど、どうぞシュートを打ってくださいといちばんやさしいボールをくれたのは礒貝だった。足首に人工じん帯を入れて、それまでの自分のボールタッチができなくなったんじゃないかな。すごく繊細な選手だったから」

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