炎の一筆入魂BACK NUMBER
カープ女子も推す“勝てる投手”森下暢仁は新人王も…「全然、意識してます」
posted2020/09/29 11:00
text by
前原淳Jun Maehara
photograph by
Kyodo News
人は人によって突き動かされることがある。9月19日、神宮球場での試合もそうだった。
ヤクルト広島戦は延長戦の末に決着した。同点の10回に、二死二、三塁から大盛穂が二遊間に転がる当たりに、一塁へのヘッドスライディングで決勝点をもぎ取った。広島にとっては今季、11度目の延長戦で初の勝利だった。
ヒーローインタビューは決勝打の大盛だったが、陰の立役者は7回111球を投げきった森下暢仁だった。
前日に広島投手陣が14失点したヤクルト打線相手に、直球主体の投球で勝負を挑んだ。1点リードの2回、一死一塁から坂口智隆に低め148キロを右翼席に運ばれても、逃げることなく攻めるスタイルを貫いた。
「点を取られたくないという思いだけでした。自分が粘らないとチームの逆転もない。そこの思いだけで投げていました」
1点ビハインドから味方打線は走者を出しながらも、あと一本が出ない攻撃が続いた。最少得点差のまま、森下も走者を背負う場面が多くあったが踏ん張った。
失敗や挫折を経て“広島のエース”に成長した
野球は、投手が球を投じてからすべてが始まる――。
「自分が投げて試合が動く。自分が一歩引くと、チームも引いてしまう。攻めるところは攻める姿勢を見せないといけない」
大分商高時代では甲子園のマウンドに立つことはできなかったものの、日の丸を背負った。プロからの誘いもある中、進学した明大ではケガに悩まされる時期を経て、主将となった4年の春に全国優勝。大学日本代表のエースにまで上り詰めた。栄光の裏には同じだけの失敗や挫折もある。勝つことだけでなく、負けることも味わいながら、エースとしての風格を自然と身に着けていったのかもしれない。
野球人生の大きな転機となった明大時代に、“庭”としてきた六大学野球の聖地で成長した姿をみせた。
6回まで毎回の9三振を奪い、球数100球を超えた7回も150キロを計測した。最少得点差を守り抜く力投が、味方打線を奮い立たせた。延長10回の大盛だけでなく、5回一死の場面では菊池涼介が一塁へのヘッドスライディングで内野安打をもぎ取った。降板直前には堂林翔太が同点ホームラン。そして延長戦の末に、チームは勝利をつかんだ。