炎の一筆入魂BACK NUMBER
カープ3連覇は黒田博樹の帰還から。
緊張感を与えてくれる、最高の見本。
text by
前原淳Jun Maehara
photograph byKyodo News
posted2020/05/13 19:00
黒田が復帰して2年目の2016年、25年ぶりのリーグ優勝を果たした。
ロッカールームで見たジーター。
黒田は変わったのではなく、2007年までと変わらなかったのだ。海を渡る2007年までも、チームの和を大事にしていた。思うようにいかない当時は絶対的な自信を持てていなかったかもしれないが、米国で確信に変わった。ヤンキース時代に目の当たりにした光景がある。
初めてロッカールームに入った日、マイナーから昇格したばかりの若手選手に気さくに声をかける名選手デレク・ジーターがいた。
自分の理想とする姿が、米大リーグの名門の伝統として息づいていた。復帰した広島では7年というブランクが距離感を生んだが、埋めたのは黒田自身だった。大瀬良大地にツーシームの握りを教え、福井優也(現・楽天)にはマウンド上の心構えを説いた。復帰2年目の2016年には若手にも声をかけた。その姿は、あの日見たジーターのようだった。
気付けばグラウンドでもすぐに背番号15を見つけられるようになっていた。
マウンドへの責任感。
高校時代は控え投手で、プロ入り後も苦しんだ。初めて2桁勝利を挙げたのは入団6年目。超一流でありながら、非エリート。ときに自身の失敗談を交えながら話す。冗談も言う。黒田は耳ではなく、心に響くような言葉を持っていた。
それだけの言葉を口にするからこそ、言葉に責任を持つ。
「いつ壊れてもいい、いつやめてもいいと思ってマウンドに上がっている」
復帰当初から口にしていた言葉に嘘はなかった。任されたマウンドへの責任感は周囲も驚くほどだった。登板2日前には球団スタッフも近寄りがたいオーラを放ち、登板前日は取材NG。登板日は同じルーティンでマウンドに上がった。
2015年オフに引退の2文字も選択肢にあったように、2016年は満身創痍だった。
2009年に右側頭部に打球を受けた後遺症からシーズン終盤は、セットポジションから一塁走者を目視することもできなかったという。ほかにも慢性的な肩痛や首痛などに悩まされた。
それでも弱みは隠し、マウンドに立ち、闘い続けた。