スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
『フェデラーの一瞬』は奇書で傑作。
作家がスポーツを描くスリルと愉快。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byAFLO
posted2020/05/13 07:00
2005年のフェデラーは2つのグランドスラムを手にし、勝率が95%を超えた。その「一瞬」に著者は出会ったのだ。
「決闘」の気配が立ち込める文章。
テニスの描写で、これほど唸ったことは記憶にない。
たとえば、マイケル・ジョイスという無名選手のプレーを次のように書く。
「マイケル・ジョイスのテニスの水準は、トップスピンで打たれたボールが来たら、一歩踏み込んでライジングで叩く域に達しているから、まさに踏み込んでライジングでとらえ、バックハンドのクロスに強烈な角度で打ち放った。万人が手も出せないような剛球。これがいわばジョイス対ブレイカス戦の典型と言えるゲームポイントである。試合はひときわハイレベルな血の海と化す。図体が大きく強い捕食者が、もっと巨体で獰猛な捕食者の餌食になり、ズタズタに食いちぎられるのだ」
欧米のテニス・ライティングは日本のものとは違う。「決闘」の空気が濃厚に立ち込めるのだ(日本の場合、ひとりの選手に焦点を当てがち)。血の匂いがするウォレスの文章に私はしびれた。
ジョイスはATPランキングの最高位は64位。日本では無名の部類に入るが、ウォレスの筆致では、たまらなく魅力的な選手に映る。
ひょっとして、テニスファンならジョイスのことを知っているかもしれない。彼は2004年から2011年まで、とあるトップ選手のコーチを務め、有名になった。
マリア・シャラポワである。
優秀なコーチになれる要素が、この中編にはちりばめられている。
フェデラーに「魂消ていた」一瞬。
さらに、表題にもなったフェデラーのプレーをリビングで見ているときの文章が素晴らしい(2005年、フェデラーがまだ25歳の時だ)。
「フェデラーは後方に退りながら、構える暇もなく、ショットに体重も載せられず、あっさりやってのけたのだ。ありえない。映画『マトリックス』の一場面みたいだ。興奮していったいどんな物音を立てたのやら、僕には覚えがない。配偶者が言うには、慌てて部屋に飛びこんだら、カウチ一面にポップコーンが散乱し、床に片膝をついた僕が、廉価品ショップの目玉のおまけみたいに、目を跳び出さんばかりに魂消ていたという。
とにかくこれが『フェデラーの一瞬』の一例である」
なんとも鮮やか。私にも覚えがあるような反応だ。