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<JTマーヴェラス 栄光までの5年間>
吉原知子が伝えた勝者の哲学。
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byTakuya Sugiyama
posted2020/05/07 11:00
蔓延していた「負け犬根性」。
竹下佳江や大友愛、キム・ヨンギョンを擁し、'11年に初優勝を果たしたJTマーヴェラスだが、小川が内定選手として同行して間もない'13/'14シーズン後半はケガ人も相次ぎ、入替戦で敗れ、チャレンジリーグに降格した。翌年、1位で昇格のチャンスを得るも、入替戦で敗れて叶わず。そのタイミングで吉原が就任したのだが、いきなり発せられた「トップを獲る」という言葉に、面食らったのは自分だけではなかった、と小川は振り返る。
「どん底でしたから。私たちは大丈夫なんだろうか、という不安のほうが大きいし、ましてや今は下のリーグにいる。『トップを獲りにいこう』という雰囲気ではなかったし、トップなんて経験したことがないからわからない、というのが本音でした」
降格、そして逃した昇格。二度、自信を失い、知らぬ間に「負け犬根性」が蔓延していた。その状態でチームを率いる。当然ながら、吉原には覚悟があった。
「能力はあるし、いい子ばかり。でも人とぶつかり合うのは嫌だから、我関せず、なんです。コートの中でやるべきことを果たしてくれればそれでいいのかもしれないけれど、バレーボールって、サーブ以外は必ず人と関わるスポーツなのに、その根本である意思疎通ができていない。練習も高校の延長でやらされている感があったので、まずはそこから。『できてもできなくてもいい、はありえない。私は、できるまでやるから』と選手の前で宣言しました」
「足裏の皮が初めてむけました」
誇張でも脅しでもないことは、練習ですぐに思い知らされた。6対6でコートに入り、最後は強打ではなく緩く打って返す。一定時間、ラリーを続けるのが目的なのだが、そこで吉原が求めたのは1つ。攻守が目まぐるしく入れ替わる中でも、しっかり助走をするために、アタッカーは必ずアタックラインまで下がること。文字にすれば、何てことはない。だが、2分間ほど続くこの練習が地獄だった、と小川は言う。
「いつトスが来るかわからないので、ジャンプも全力でしないといけないんです。そのためにはしっかり下がって跳ばなきゃ、と頭ではわかっているけれど、身体がついていかない。するとすぐ、ピピッと笛が鳴ってトモさんが言うんです。『ネットにへばりついて、何するの? セッターの邪魔になるから、サボらないで』って。下がらなければ、たとえ残り10秒だろうと笛が鳴ってやり直し。常に動き続けなければならないし、足裏の皮が初めてむけました」
言わずもがな、これだけが特例ではない。小川と同期のアウトサイドヒッター田中瑞稀にも、忘れられない「あの夜」がある。
日本代表合宿から戻った直後で、全体練習には参加せず寮の部屋で休んでいると、明らかな異変を感じた。いつもならば、20時頃には自身の部屋の前にある風呂場で人の気配を感じるのに、その夜は静まり返っている。21時、22時と時計の針が進み、23時を指す頃、さすがにおかしい、と体育館を覗くと、まだ練習が続いていた。
理由は、翌日の練習ですぐ解明された。