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運と偶然に溢れた10万本の本塁打。
数え間違い、踏み忘れ、メモリアル。 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byKyodo News

posted2017/10/08 08:00

運と偶然に溢れた10万本の本塁打。数え間違い、踏み忘れ、メモリアル。<Number Web> photograph by Kyodo News

うっかりのベース踏み忘れが、まさか10万号本塁打への伏線になる……とはマレーロも思ってもみなかっただろう。

スラッガーの台頭、球場の拡大化、そして統一球。

 プロ野球創設当初、4試合に1本出るか出ないかだった本塁打は、2リーグ分立後、2試合に1本程度になった。王貞治、野村克也、長嶋茂雄などのスラッガーが登場した1960年代にさらに上昇し、1970年代に入ると1試合に1本を超える。これは1975年にパ・リーグでDH制が導入されたことが大きい。守備に就かなくていい、打力に特化した強打者が増えて、本塁打も増えた。

 1980年代に入ると本塁打数はピークに達する。阪神のランディ・バース、巨人のウォーレン・クロマティ、阪急のブーマー・ウェルズなどMVP級の活躍をする外国人選手が続々と入団したのが主な要因だ。

 しかし1990年代に入ると、本塁打数は減少する。これは1988年の東京ドームの開場以来、球場の両翼が90mから100mに広がったためだ。MLBと同じ大きさの球場になって、チープな本塁打が減少したのだ。

 2010年代に入ると、本塁打数はさらに減少、1960年代の水準をも下回る。これは2011年に加藤良三前コミッショナーによって反発係数を抑えた「統一球」が導入されたことが大きいと思われる。

 こうしてみると、本塁打は選手の実力だけでなく、環境や野球界の制度の変化、それに運にも左右されていることがわかる。

 11万本目は、今のペースだと10年近くかかりそうだ。どのチームの誰が、ラッキーな一発を打つことになるのだろうか?

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