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日本人がラクロス豪州代表でW杯へ。
山田幸代、“出る杭”で世界と戦う!
text by
別府響(Number編集部)Hibiki Beppu
photograph bySachiyo Yamada
posted2017/06/30 08:00
オーストラリア代表選手として、イングランド代表と戦う山田。日本ラクロス界を思うからこそ、今、この地で戦っている。
日本人選手が外国で直面する言葉を巡る3段階。
2008年に豪州へと軸足を移し、'09年にケガで日本代表から漏れると、本格的に豪州代表への挑戦が始まった。
「コミュニケーションの部分が一番大変でした。いまでも大変ですけど(笑)。最初は私も『何とかなるわ』と思ったんですよ。自分から積極的に話もするタイプですし。でも、やっぱりはじめはパスがもらえなかったりする場面もありました。
うまく言えないですけど、豪州では3段階、感覚が変わった瞬間があって。
1つ目は行った直後。それこそパスがもらえないくらいで『なんだよお前、誰だ?』みたいな。『私たちの中に入ってきやがって』という、排他的な感じですかね。
次の段階は自分のプレーを見せて、少しずつ納得してもらいはじめた時。『お、こいついいじゃん。やってみなよ』という感じ。『凄いね、サチ頑張っているね』っておだてられるのが2段階目。
それで面白いのが、最後に『自分たちと同じレベルに来たな』と感じた瞬間に、どんどん落とし始めるんですよ(笑)。
例えば代表の選考会でも、コーチが何かを言った時に私がちょっとアイシングとかをしていて聞けなかったりすると、絶対に教えてくれないんです」
最初のお客さん扱いが終わると、蹴落とそうとしてくる。
「お客さん」ではなく、「ライバル」として認められる。
そこからが本当のスタートラインだったという。
そうして一段ずつ、異国の地で階段を上がっていった山田だが、前回13年のW杯代表からは、最終選考で落選した。
「それも言葉の壁が大きかったですね。ハッキリと『Language barrier』だと言われましたから。そこで『30秒しかないタイムアウトの中で、俺が言うことを全部理解できるか?』と言われたんです。その時に私は理解できる、と自信を持って言えなかったんですよ。そうしたら『そこなんだよ』と。『ちょっとサチの方がレベル的に高くても、それだったら若い選手を使っていく』とはっきり言われた。英語の勉強はそれからかなりしましたし、変えなきゃいけない部分というのも気づきました」