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勢いで、一本槍で、粋で、練習家で。
川崎宗則がついに福岡へ帰ってきた! 

text by

田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byKyodo News

posted2017/04/04 07:00

勢いで、一本槍で、粋で、練習家で。川崎宗則がついに福岡へ帰ってきた!<Number Web> photograph by Kyodo News

ヤフオクドームでファンにサインをするムネリン。彼が再び日本球界で見られるだけで幸せだ。

アメリカで次々と覆った川崎の常識。

 日本でスター選手を続けていれば、何不自由のない野球人生を送っていたはずだ。アメリカに行って、食事も言葉も不便を感じた。周りが何でもしてくれるわけではない。洗濯、体のケアも自分自身で工夫した。

「環境が違うところに行ったことで、ストレスが僕を強くしました。勉強することがたくさんあったし、たくさんの新しいものも見てきました。今までセオリーだと思っていたことが、そうではなかったこともありました。コレというのがすべてじゃないと分かった。それだけでもよかったと思います」

 それが日本の野球界でも、みんながいいプレーを出来る何かきっかけになればいい、と川崎は言った。

この15年、川崎ほど練習する選手を見たことがない。

 また、川崎には日本の若手選手にぜひ還元してもらいたいことがある。

 彼がまだ一軍選手になる前から取材をしていたが、かれこれ15年以上もプロ野球の世界を見てきた中で、川崎以上に練習をした選手を他に目撃したことがないのだ。

 オフの時期だった。合宿所の練習場で、毎日同じ練習を繰り返していたのを覚えている。

 川崎は守備がとにかく苦手だった。基本の姿勢を体に染み込ませるために、反復練習を繰り返した。5mほど向こうから、ゆっくりとボールを転がしてもらう。川崎は前かがみになり捕球姿勢をとって、じっとそのボールを待つ。わざと、ゆっくりとした動作でボールを捕り、スローイングの姿勢に入る。そして腕を振るのもゆっくりだった。

 誰でも出来る。小学生でも女性でも、簡単にやれる。

 ただ、川崎は毎日それを2時間ないし3時間ぶっ続けでやっていた。眺めるのも退屈なほど単調すぎる練習だった。

 すぐ横では先輩選手がノックを受け、華麗なプレーを見せていた。

 嫌になる。川崎は何度も「アー!!」と奇声を上げ、気持ちを何とか持たせようとしていた。とにかく地道に繰り返した。そして、川崎は数年後にスターとなった。

【次ページ】 「ただいまというか、まだ。プレーしないと」

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