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3年春にベールを脱いだ“元祖”怪物。
「5回戦った男」が語る江川卓のヤバさ。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2017/03/22 17:30
公式には140キロ台後半の球速記録が残る高校時代の江川。まだスピードガンも少なかった時代で、今でも「160キロを超えていたのでは」と語る人もいる。
「今でいう“江川ストーカー”ですよ」
それから棚橋は、江川の存在の大きさを無視することができなくなり、授業をサボってでも作新学院の試合を観にいくようになる。
「今でいう“江川ストーカー”ですよ。彼に勝たないと甲子園に行くことはできない。じっと観察して、どうすれば攻略できるのかばかりを考えていました」
その効果が少し出たのが、3度目の対戦となる2年生5月の練習試合。センター前にポテンヒットを放つと、すかさず盗塁を決めた。
「当時江川ばっかり見ていたからわかるようになったんです。打席で見るのは、まず表情。まっすぐの時はキッとした顔になり、カーブの時はボヤッとした表情になる。それから、ランナーを背負った時は、牽制しないで投球する場合は左肩が下がるんです」
結果的には0対1で敗れるが、一矢は報いるかたちとなった。
圧倒的実力と悲劇的な結末で、江川人気は加熱気味に。
同年8月、4度目の対戦から、周囲の状況も変わってくる。作新学院のグラウンドで行われた練習試合だったが、スタンドやグラウンド周辺は超満員。
前年の秋季関東大会で江川は、前橋工から10者連続三振を奪ったものの、5回に頭部に死球を受けて退場し、甲子園を逃す。このころから圧倒的実力と悲劇的な結末が話題となり、福島や茨城など近隣のファンも試合を見に来るようになったのだ。
「バットにかするだけで、どよめきが起こるんですよ」
この試合は0-15の大敗。棚橋も安打を放つことができなかった。
最後の戦いとなったのが、2年生の10月。栃木県秋季大会の決勝戦だった。棚橋は主将となり、1番遊撃手として出場していた。