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誰も知らない韓国サッカーと徴兵制度。
鳥栖・金民友はなぜ日本を去ったのか。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byKenzaburo Matsuoka/AFLO
posted2017/01/04 08:00
サガン鳥栖で2010年からプレーしていた金民友。退団時にはチームの主将も務めていたほどの中心選手だった。
「韓国人として軍隊に行くことは当然」
「韓国人として軍隊に行くことは当然のことです」
金民友は退団に際し、そう言った。
「大韓民国 兵役法 第1章 総則」 にはこう記されている。
“大韓民国の国民である男性は、憲法とこの法により定めるものにより兵役義務を誠実に遂行しなければならない。女性は志願により現役または予備軍としてのみ服務することができる”
兵役期間は軍や立場によって違うが、「短くて2年、長くて2年4カ月」という解釈でいい。
そもそも、なぜ韓国に徴兵制度があるのか、再確認を。
まず前提として、「韓国は現在、国際法上は戦争状態」ということだ。
1950年に勃発した北朝鮮との朝鮮戦争が、「停戦」ではなく「休戦」状態。この影響も強くあり、韓国には、成人男性の徴兵制度が敷かれている。これは、スポーツ選手や芸能人とて例外ではない。
この義務を果たす金民友は、ここからどうするのか。
まずは1シーズンを韓国・Kリーグの水原三星でプレーをした後、“軍隊チーム”の「尚州尚武(サンジュ・サンム/Kリーグ1部)」にレンタル移籍するという見方が一般的だ。
この慶尚北道の人口10万都市尚州にある「尚武」というクラブのありようを紐解いていくと、今回の金民友の動きが理解しやすい。
もともと若い才能ある選手のための軍隊チームだった。
韓国での“軍隊スポーツチーム”の歴史は非常に長い。
1950年代から陸・海・空軍のチームが、「青龍」「白虎」といった名称で活動してきた。目的は当然のごとく、“若いアスリートたちが2年も競技生活から完全に離れることを避ける”という考えからだ。
さらに優秀なアスリートが軍の名で戦う姿は、軍や国民の士気を上げた。古くはソウル信託銀行のチームに所属していた車範根(チャ・ボングン)が1976-78 まで空軍でプレー。その後のドイツでの活躍は、徴兵を終えてのものだった。先日のクラブワールドカップで監督として全北現代を率いた崔康熙(チェ・ガンヒ)は1980-82年に陸軍でプレーした。
この体制が幾度か変化していく。
各軍での活動よりも、これを統合した方が合理的という考え方から、1984年に軍の統合チーム「尚武」が誕生した。
軍のステイタスでの正式名称は「国軍体育部隊」。
選手たちは入隊後、約2週間の軍事基礎訓練を受けた後、合宿生活に入り競技を続ける。トレーニング、試合を繰り返す日々はプロに近い。代表チームへの選出にも制限がない。