オリンピックへの道BACK NUMBER
リオ五輪直後も“燃え尽き”はない!
瀬戸、池江らが見せた「本気」の泳ぎ。
posted2016/10/30 08:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
オリンピックが終わったあとは、選手にとって1つの機会となる。
競技生活を続行するか、第一線を退くか。選択に迷い、いったん休養する方向もある。五輪後の1シーズンを休むなりする選手も少なくない。
競技を続行するにしても、オリンピックの前の、張り詰めた日々とは変わってくる。選手たちは4年というサイクルを1つの単位で捉えて取り組んできたのだから、どの競技であれ、それは不思議ではない。ましてや、オリンピックから間もない時期の大会であれば、目標設定を含め、モチベーションの保ち方も難しくなる。
だが、10月25、26日に行なわれた競泳ワールドカップ東京(短水路)では「本気」の選手たちの泳ぎが観られた。
初日、まず目を引いたのは、瀬戸大也だった。リオデジャネイロ五輪では、400m個人メドレーで銅メダルを獲得し、200mバタフライでは5位の成績を残している。400m個人メドレーを4分3秒42で優勝した瀬戸は、200mバタフライでも1分49秒93で優勝。さらに100m個人メドレーでも3位、この日の全種目で表彰台に立った。
「1年間くらいしか努力してなかった」瀬戸の変化。
そこには、リオで味わった悔しさがある。400m個人メドレーは金メダルを目標としていたがライバルの萩野公介に敗れて銅メダル、200mバタフライは大学の後輩の坂井聖人が銀メダルを手にした中での5位だったからだ。
思い描いていた結果を出せなかった理由を考え、やがて答えに行き着いた。
「4年間をかけて、ずっと努力してきて夢を追いかけてきた選手に比べ、自分は1年間くらいしか努力していなかった」
オリンピックへ向けてのスタート地点の違いを感じ取ったのだ。
だからリオでのレースが終わると、心の中でこう思った。
「4年間みっちりと、思い描く以上にハードにやっていかないといけない」
そして、ただ思っただけではなく、実際に行動にも移した。
9月末から、ワールドカップに自費での参戦を決意し、北京、ドバイ、ドーハでの各大会に出るなど、東京を含め5大会連続で出場。個人メドレー、バタフライに加え、さまざまな種目を泳いできた。