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タイがいつの間にかゴルフ強豪国に!?
“タイ通”塚田好宣が指摘する2要因。 

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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posted2016/10/20 08:00

タイがいつの間にかゴルフ強豪国に!?“タイ通”塚田好宣が指摘する2要因。<Number Web> photograph by AFLO

タイ人として初めて米メジャー優勝を果たしたアリヤ・ジュタヌガン。世界ランク最高2位の押しも押されもせぬトップゴルファーだ。

アメリカでレベルの高さに怖気づき、豪州へ。

 ところが当時、米国でプロ転向しようとは思わなかったという。「めちゃくちゃウマいやつが多くて……」。周りのレベルの高さに、なんだか怖気づいてしまった彼はどうしたか。「どうしてもプロになりたい!」という一心で、'93年に日本でプロテストを受験したものの失敗。どこから聞きつけたのか、直後に欧州ツアーの予選会に参加してみたが、これも失敗。なんとか通過したのは翌'94年、豪州のプロテストだった。

 必死の思いで飛び込んだプロの世界だったが、やはり現実は厳しく、アジアとの関わりが深まったのはそんな不遇の時代だった。2003年、知人の紹介をきっかけにタイを訪れ、環境の良さを理由に月に1度は当地を訪れるようになった。

 タイを“第2の拠点”としてから、キャリアは少しずつ好転した。2004年にはシンガポールで行われた第1回のアジアの予選会を通過して、全英オープンに出場。翌年末に日本のシードを初めて取得。その後、アジアンツアーと日本ツアーを掛け持ちするシーズンが続き、現在に至る。

塚田はタイ人選手の活躍に2つ根拠があるという。

 タイ人選手たちからは「お前がタイ語をしゃべるから、オレたちは日本語を覚えられない」という、逆説的な“被害報告”もある。

 初めて通訳として活躍したのは、2008年。マークセンが優勝した、ミズノオープンよみうりクラシックという試合だった。当時未勝利だった塚田は最終日に最終組のひとつ前で回り、2打差の3位タイ。悔しいラウンドを終えるなり、ツアーのスタッフに懇願されマークセンをアシストすることになった。「おれ、負けたばっかりなのに……なんか違うような気がするな」と首をかしげながらも、大役を務めあげてしまうのが彼の人柄である。

 前置きが長くなったが、塚田は現在のタイ人選手の活躍について「妥当だと思う。もっと増えると思う」と話した。それは当地が年中温暖な環境だからだとか、タイガー・ウッズの母がタイ人だからだとか、といった、どうも腑に落ちない類の話ではないそうだ。彼が分析するに、タイには多くのプロが海外で活躍する下支えになる“ふたつの根拠”があるという。

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#アリヤ・ジュタヌガーン

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