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米国で戦うバスケ界のサムライたち。
渡邊雄太と田渡凌の選手生活を追う!
 

text by

宮地陽子

宮地陽子Yoko Miyaji

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photograph byDominican Athletics/Hallie Balch

posted2016/01/07 10:50

米国で戦うバスケ界のサムライたち。渡邊雄太と田渡凌の選手生活を追う!<Number Web> photograph by Dominican Athletics/Hallie Balch

ドミニカン大で活躍する田渡。彼のツイッターで、そのアメリカでの日々を知ることができるので、是非アクセスしてほしい。https://twitter.com/tawatariryo

「俺もアメリカでやるから、お前も考えてみたら?」

 実は、渡邊に最初にアメリカ行きを勧めたのが田渡だった。

 田渡が渡米当初に入る予定だったプレップスクールのヘッドコーチに頼まれて、渡邊にアメリカ行きを勧める電話をしたのだ。3年ほど前、渡邊が尽誠学園3年の時、高校最後の大会、ウインターカップを戦う前のことだ。

 渡邊も、かつて、その時のことについてこう振り返っていた。

「(高校2年の頃までは)アメリカの話を聞いても、一切興味もなかった。自分が行っても無理だなと思っていたんです。その後、色々な人から勧められて、田渡さんにも電話で『俺もアメリカでやるから、お前も考えてみたら?』と言われて。そのへんから、ちょっと、自分にもチャンスがあるのかなと思い、考え始めました」

 それでは、渡邊より先にアメリカに渡った田渡は、これまでにどんな道を通ってきたのだろうか。

いざ学校に行ってみると校長の交代で話が白紙に!!

 田渡も、当初は渡邊と同じように、プレップスクールに1年通い、その間に英語力を磨き、アメリカのバスケットボールに慣れ、進学先の大学にアピールする予定だった。ニューハンプシャー州にあるプレップスクール、ティルトンのヘッドコーチから勧誘され、奨学金付で迎え入れられるはずだったのだ。ところが行ってみると、学校の校長先生が交代したこともあり、話が白紙に戻ってしまった。

 授業料自費でシーズン途中から加わる選択肢もあったが、結局、そのシーズンは元アシスタントコーチの家にホームステイして自力で勉強とトレーニングを行い、大学進学に備えた。アメリカに来てすぐに直面した大きな壁だった。今までで一番苦しい時期だったと田渡は振り返る。

「正直、日本にいたときは(日本の高校バスケ界で)ちょっと有名だったし、みんなも自分のことを注目してくれて、そういう環境に慣れていたんです。そういうのが嫌でアメリカに来たっていうのもあるんですけれど。いざそうしたら、全部なくなってしまって、試合をする環境もなくなって。なんでアメリカに来たんだろうって思ったときもありました」

 そんな思いを、すべて個人練習に向けるしかない毎日だった。ホームステイ先のコーチの協力も仰ぎ、シーズン後にD1の大学のピックアップゲームに行って人との繋がりを作り、進学候補の大学を調べて売り込みの連絡を取ったりした。

【次ページ】 まずは短大に2年行ってから上を目指す道を。

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