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黒田博樹が円陣で仲間に語ったこと。
野球人生の「締めくくり」が始まる。 

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2015/02/20 16:30

黒田博樹が円陣で仲間に語ったこと。野球人生の「締めくくり」が始まる。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

初日から旧知の新井貴浩と談笑するなどリラックスムードだった黒田博樹。しかし今季に懸ける彼の思いは苛烈なものだ。

「メジャーのキャンプ初日のようなブルペンでした」

「メジャーのキャンプ初日のようなブルペンでした。テーマは特にない。最初は何も考えずにボールを投げた。(変化球が多かったのは)時期的に投げて、実戦に入っていくために(精度を)上げていかないといけない」

 7年間のメジャー生活で作り上げてきた仕上げの道程。日本に戻ってきてもそれを確実になぞって、広島での第一歩を踏み出した。

 20億円とも言われたメジャーからのオファーを振り切って、年俸4億円での古巣復帰。金よりチーム愛を選んだこの黒田の“男気”は、赤ヘルファン、野球ファンばかりか日本人の心を大きく揺さぶるのに十分だった。

お金や愛とは別の「野球人生の締めくくり」という要素。

 ただ、である。そこには、お金や愛とはまた別に、黒田という野球人が直面していた野球人生の締めくくりとしての決断があったのも確かだろう。

「1試合1試合、いつも最後のつもりでマウンドに上がっている」

 メジャーでの7年間、黒田はほぼ毎シーズン、ローテーション投手として中4日のマウンドに立ち続けてきた。

 先発投手としての責務を背負い、自らも周囲も納得するパフォーマンスを見せる。その思いの中で日常生活からストイックにコンディションを維持し、一度マウンドに上がれば6回3失点以内というクオリティースタートを目指して粘り強く投げ続けてきた。そうして年間30登板以上をクリアして、200イニング前後を投げてきたのだ。

 特にヤンキースに移籍したここ3シーズンは、年齢的な問題もあって心身ともに全てを犠牲にして次の先発に備えるような生活が続いていたという。自分を追い込めるところまで追い込んで、投げ続けてきた。それが「いつも最後のつもりで」というこの言葉には込められているのである。

 ここ数年はオフに帰国して仲の良い球界関係者に会うと、いつも「引退」という言葉を口にしていたとも聞く。このメジャーでの厳しい生活に疲れきっていた。ただ、そこで「引退」という最後の選択肢を選ぶ前に黒田が出した結論が、古巣への愛を全うすること。それがこの背番号15のユニフォームを野球人生の最後に着るという決断だったのである。

【次ページ】 円陣の真ん中でチームメイトに語った言葉とは?

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