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ドメネク元監督が語る「フランス病」。
現代表に'98年の“奇跡”は起こるか。
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph byGetty Images
posted2014/06/14 10:40
2010年南アフリカW杯でフランス代表は空中分解し、ドメネクは大会後に解任された。敗戦インタビューでプロポーズ、「占星術で選手を選んだ」など問題発言も絶えなかった。
ドメネク自身が冒した、情実起用という過ち。
肥大したエゴは選手側と首脳陣の溝を深めただけではない。選手同士も疑心暗鬼に駆られ、不毛なかけひきや抗争に明け暮れる。
このような状況の中、ドメネクは戸惑いや怒り、苦悩に苛まれながらも何とか事態を収拾しようとするが、彼の努力はことごとく水泡に帰す。しかもドメネク自身も、情にほだされて過ちを犯したことを認めている。たとえばアンリとはなまじ個人的に仲が良かったばかりに、チームから外す決断を下せなかった。
「私は彼に、もうおしまいなのだと伝える強さも勇気もなかった。(中略)運動能力を見ると、アンリを招集した事は誤りだった」
結果、チームを救済できる可能性を秘めた人間はジダンしかいなくなる。本書ではジダンがいかにリーダーシップを発揮していったかも語られているが、そこで起きたのが2006年、ドイツ大会の決勝での頭突き事件だった。
ちなみにドメネクは、ジダンが頭突きをしたのは意図的なものだったのではないか。あまりにも自分のスターとしての地位が肥大したことに嫌気がさして、あえて暴挙に及んだのではないかと示唆している。
「またある選手からは、ジダンがスペイン戦の後に奇妙な発言をしていたとも聞いた。『僕達は決勝には進むかもしれないが、優勝することはないだろう』と。(中略)私は今でも彼が最後の瞬間、このような形で引退することを自分で決めたのではないかと思っている」
「フランス病」の根因は何か。
ジダンに関する推論が正しいかどうかはともかく、ドメネクは代表チームの「フランス病」――好成績を収めるべき人材がそろっているにもかかわらず内紛を繰り返し、不本意な成績に終始してきた理由についても、体系的な分析を試みている。大別すれば、それは次の三つに集約される。
(1) ボスマン判決以降のサッカー界で育ってきた、精神的に脆く子供じみていて、かつプライドだけは高い新世代の選手の登場
(2) 世代交代の失敗、つまりジダン世代の選手を引っ張り過ぎた結果、2006年を境にチームの規律や価値観が一気に瓦解したこと
(3) '98年大会に頂点を極めたことの負の遺産
特に示唆に富むのは、やはり'98年のフランス大会に関する洞察だ。彼が監督を務めた時期のフランス代表が置かれた苦しい状況が異様なのではなく、チームの連帯感が個人主義や文化的な多様性を超越したフランス大会の時の状況の方が、むしろ例外的だったとさえ述べているのである。