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町田樹、20年目のシーズン集大成。
ソチの悔いと進化を世界選手権で。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph bySunao Noto/JMPA

posted2014/03/24 10:30

町田樹、20年目のシーズン集大成。ソチの悔いと進化を世界選手権で。<Number Web> photograph by Sunao Noto/JMPA

町田樹は、ソチでは5位という結果に。1.68点という3位との点差は、4回転ではなくとも、いつもなら跳べる3回転をもう1つ成功させていればひっくり返る差だった。

「フィギュアスケートの醍醐味って、魅せること」

 以前、フィギュアスケートそのものについて尋ねたとき、町田はこう答えた。

「やっぱりフィギュアスケートの醍醐味って、魅せることだと思うんですね」

「表現力にやっぱり僕は自信があるし、そこが僕の一番の持ち味」

 その言葉のとおり、表現することにこだわってきた。

 表現するには、技術が伴っていなければならない。

 オリンピックシーズンを迎えるにあたって、それを痛感していた。オリンピックに出たいと強く思ったから、技術の向上に精力的に取り組んだ。コンパルソリーの練習もそのひとつだ。

 強い気持ちとそれに裏付けられた鍛錬があって、グランプリシリーズで連勝し、全日本選手権でも2位となって得たオリンピックの代表だった。

 その過程があるから、試合が終わって、やりきれない感情に苛まれた。それは容易に消えることはなかった。

1年をかけて、町田が見せた大きな「変化」。

 目標としたメダルには至らなかったが、一方で、町田が証明したことが一つある。

 ソチでのインタビューで、こう語った。

「1年前の僕は、100%ソチに行けると信じていたかというと、まったくそんなことはなくて、40%か50%、いや、30%くらいだったかな、けっこう低かった」

 昨シーズンは全日本選手権で9位に終わり、世界選手権の代表にはなれなかった。

 オリンピックの代表を争う候補として名前をあげられながら、決してオリンピックの代表に近い位置にいるとも見られていなかった。町田自身もそう捉えていた。

 だが、町田は自分を信じようと決意し、そして信じて、実践した。その日々の積み重ねがあって、1年前には行きたいと思いつつも行ける手ごたえのなかったオリンピックの舞台に立つことができた。

 人は容易に変わることはできない。だが、変われないわけではない。変われないとあきらめる必要はない。変わることはできる。

 この1年をかけて、町田が示した答えである。

【次ページ】 スケートを始めて20年、節目のシーズン。

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