野ボール横丁BACK NUMBER
投手・大谷翔平が生き残るため――。
田中将大の1年目から学ぶべきこと。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2013/05/24 12:05
一軍初登板は86球のうち65球をストレート(最速157km)と、力の投球を見せた大谷。「気がついたらまっすぐしか投げていなかった」と語った。
田中は1年目の6月頃から“こだわり”への封印を解いた。
どちらの意見にも一理あるように思われた。
ちなみに田中のデビュー戦は本人いわく「ボコボコ」だった。ソフトバンク相手に1回3分の2を投げ、6失点でKO。その後、2戦目、3戦目はそれなりに抑え、4戦目のソフトバンク戦で今度は13三振を奪い完投でプロ初勝利を手にした。
そこから軌道に乗り、6月頃、交流戦に入るとにわかにストレートが走り始める。すると田中はついに封印を解き、当時、セ・リーグを代表するスラッガーだった巨人の小笠原道大や阪神の金本知憲らに真っ向勝負を挑んだ。次第に、状況が許しさえすれば田中は、相手が強ければ強いほどストレートを連発するようになった。こだわるばかりではダメだが、こだわりを捨ててしまうことはもっとダメなことなのだ。
田中はこの年、最終的に1年間ローテーションを守り切り、11勝7敗の成績で新人王に輝いた。
大谷が学ぶべきは、“譲れぬもの”の扱い方。
プロで生き残る投手と、そうでない投手。田中の1年目の活躍は、そのひとつの違いを提示していた。
プロに入ってくるような選手は誰しもがここだけは譲れないというものを持っているものだ。しかしプロで活躍するには、それを出していい場面と、引っ込めなければならない場面を区別する能力が必要なのだ。
田中が入団1年目からそうした能力を身に付けていたのは、高校時代、駒大苫小牧という常勝チームにいたお陰でもある。速いボールを投げることよりも大事なことを知っていた。つまり、チームの勝利だ。その点は阪神ですでに3勝を挙げているルーキーの藤浪晋太郎も共通しているのではないか。
大谷がこれから学んでいかなければならないのはそこだろう。譲れぬものの扱い方だ。
大谷には大谷のスタイルがあるということを承知で書くが、田中だったら、初回の岩村の打席も、4回の中村の打席も、まったく違う攻め方をしていたように思える。
しかし、まずはこだわりを前面に出せた点だけでも大谷のデビュー戦は十分合格だったと言っていい。