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<フルマラソン、みんなのマイ・ルール> 北京五輪6位の外交官 マーラ・ヤマウチ 「ジョグはレースペースの85%で」 

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柳橋閑

柳橋閑Kan Yanagibashi

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photograph byNaoya Sanuki

posted2013/04/27 08:00

<フルマラソン、みんなのマイ・ルール> 北京五輪6位の外交官 マーラ・ヤマウチ 「ジョグはレースペースの85%で」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

食事、給水、追い越しなどのルールを細かく設けました。

 5000mからハーフまでは無酸素運動に近い感覚でいけますが、フルマラソンでは30kmまでを有酸素運動で脂肪を燃やしながら楽に走らないとだめです。最初から無酸素運動で炭水化物を燃やしてしまったら、勝負が始まる30kmの前にエネルギー切れになります。

 そのことを理解してからは、レースペースの85%ぐらいのスピードのジョッグを増やしました。私の場合だとキロ4分ぐらい。ポイント練習以外はほとんどそのペースのジョッグが中心でした。

 そうした考え方の変化によって、速筋・遅筋のバランスなど、身体がマラソン向きに作り替えられていったんでしょうね。35~40kmの距離走を最後まで元気よく走れるようになりました。レースでそれを実感できたのが'08年の大阪国際女子の優勝。さらに6位に入賞した北京五輪、自己ベストの2時間23分12秒を出した'09年のロンドンマラソンまで好調は続きました。

 その間、レースマネジメントの面でも、シゲとふたりでルールを作っていきました。たとえば、レース直前の食事はQちゃん(高橋尚子)を見習ってお餅と力うどんにしました。給水のときは滑って転ばないように白線を踏まないようにする、前の選手を追い越すときは、後ろにくっつかれないようにできるだけ離れて抜くというのもそうです。でも、追い抜きのルールは2回ミスしてシゲにずいぶん怒られましたけれど(苦笑)。

重圧がかかり、ケガに泣いたロンドン五輪から学んだこと。

 ロンドン五輪の前は母国開催ということもあって、プレッシャーがものすごくかかりました。北京でメダルまであと22秒だったということも、自分をプッシュしすぎる原因になっていたかもしれません。焦っていろんなことをやりすぎてしまいました。

 たとえば、40~41kmのラストスパートの勝負で負けないよう、バイオメカニクスの専門家のアドバイスを受けて、ギアチェンジの練習を徹底的にやる予定でした。ところが、10秒以内のダッシュを繰り返すドリルを始めた矢先に踵の炎症を起こしてしまったのです。着地のたびに神経が圧迫されて痛み、その後はなかなかいい練習ができなくなりました。お灸や鍼などあらゆる治療を試したのですが、結局本番まで完治しませんでした。

 私の場合、五輪という目標から逆算して計画を立て、全部予定通りにこなさなければいけないんだという思いが強すぎたので、休むこともできませんでした。でも、市民ランナーのみなさんは怪我のときはしっかり休んでください。「この大会はどうしても出たい!」と考えすぎないほうがいいと思います。

【次ページ】 マラソンというのは人生そのもので、旅のようなもの。

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#マーラ・ヤマウチ

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