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たったひとつの技術が勝敗を分ける!
イギリスGPでF1チーム同士が暗闘。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byHiroshi Kaneko
posted2011/07/14 10:30
フェラーリ375に乗ってご満悦のアロンソ。1951年、フロイラン・ゴンザレスが駆るこのマシンが、常勝アルファロメオを破りフェラーリにF1初の勝利をもたらした。F1は、1950年にシルバーストーン・サーキットで初めて開催された
「こんな論争をしていてもF1のためにはならない」
イギリスGP決勝レース当日、シルバーストーン上空は雨雲が訪れては青空が広がる典型的なブリティッシュ・ウェザーとなっていた。それはまるで、F1という村社会のコップの中の争いが目まぐるしく変化している様子にも似ていた。
午前10時半からスタートした話し合いでは、エキゾーストブローイングのレギュレーションが日によって変わるという異常な状態で開催されていたイギリスGPの状況を良しとしないチームが過半数を占めた。
そこで再びイギリスGP以前の状態に戻す案(バレンシア状態)が提案された。しかし、フェラーリとザウバーが異を唱え、全会一致に至らずに散会となった。
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アロンソが澱みのない透明感あふれるエキゾーストノートを響かせながら、サーキットを1周していたのは、ちょうどそのころである。
その音を聞いて、目が覚めたのか、フェラーリのチーム代表であるステファノ・ドメニカリは「こんな論争をしていてもF1のためにはならない」と改心。レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表に「バレンシア状態」に戻すことを受け入れることを約束。時計の針はイギリスGPスタートまで20分を切っていた。
聖地にF1が帰って来た。
上空からは雨雲が去り、レースはスタート。
1時間28分後にトップでチェッカーフラッグを受けたのは、往年の名車フェラーリ375でチェッカーフラッグを受けたアロンソだった。
「今回、シルバーストーンでエキゾーストブローイングの影響があったかって? そんなものは関係ないよ。イギリスにおけるモータースポーツというのは本当に大きな意味を持つんだ。だれもがこのスポーツを理解していて、みんながモーターレーシングを愛している。なぜなら、ここではモータースポーツは愛されている重要な文化だからだよ」
愛されるべき姿となって聖地にF1が帰ってきた、シルバーストーンの週末だった。