MLB Column from USABACK NUMBER
ロジャー・クレメンス 絶体絶命の「ピンチ」
text by
李啓充Kaechoong Lee
photograph byGetty Images/AFLO
posted2008/01/23 00:00
通算354勝(歴代8位)・サイ・ヤング賞受賞7回(史上最高)の記録を誇る大投手ロジャー・クレメンスが「絶体絶命」のピンチに立たされている。クレメンスは、昨年12月、元民主党上院院内総務ジョージ・ミッチェルが発表したMLBにおけるドーピング問題についての調査報告で、その薬剤使用疑惑が指摘されたばかりだが、いま、下手をすると「犯罪者」として刑務所入りするかも知れないというピンチに立たされているのである。
マウンドでは無数のピンチを切り抜けてきたクレメンスだが、今回のピンチは、打者を打ち取ればそれでお終いというような簡単なものではない。打ち取らなければならない相手は連邦政府、しかも打ち取ることに失敗した場合、刑務所入りの可能性さえあるのだから、人生最大のピンチと言ってよい。実は、クレメンスが陥ったピンチをお膳立てしたのは、3人の打者達だったのだが、今回は、この辺りの事情を説明する。
「先頭打者」として、ピンチが始まるきっかけを作ったのは、2005年、MLBにおけるステロイド使用の実態に関する暴露本『禁断の肉体改造』を出版したホセ・カンセコ(1988年ア・リーグMVP)だった。米国で青少年のステロイド使用が公衆衛生上の大問題となっていることは前々回も説明したとおりだが、カンセコの暴露本出版がきっかけとなって、同年3月、下院政府改革委員会が、MLBにおけるドーピング問題を調査するための公聴会を開催、クレメンスが今回のピンチを迎える素地を作った。
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二人目の打者として、ピンチの素地をさらに固めた「功労者」が、この時の公聴会に証人として出席したラファエル・パルメイロだった。カンセコの本の中で薬剤使用選手と名指しされたことが証人として呼ばれた理由だったが、「ステロイドは金輪際使ったことはありません」と大見得を切り、そのきっぱりした証言ぶりで逆に男を上げた。この公聴会でパルメイロがどれだけ男を上げたかというと、直後に下院が新たに設置した「ステロイド使用を根絶するための諮問委員会」の委員に任命されたほどだったのだが、数カ月後、薬剤検査で尿からステロイドが検出され、男を上げた証言とは正反対に汚染選手であったことが証明されてしまった。
ここで、法的に問題となったのが、パルメイロの公聴会での証言が「偽証」であった可能性だった。偽証となれば立派な犯罪だから、下院は、司法省に対し正式に捜査を要請せざるを得なくなった。しかし、ステロイドが検出されたのは公聴会の後だったため、「証言前に使用した証拠はない」と、パルメイロはかろうじて訴追を免れた。しかし、訴追は免れたものの、通算569本塁打・3020安打という、本来ならば文句なしに殿堂入りできる成績であったにもかかわらず、パルメイロは、実質的に球界から追放された上、殿堂入りの可能性もゼロになるという「罰」を受けたのだった。
パルメイロに続いて、今回のクレメンスのピンチを大きくする役割を果たした3人目の打者がミゲル・テハダ(2002年、ア・リーグMVP)だった。司法当局の尋問を受けたパルメイロが、検査陽性の理由を「テハダからもらって注射したビタミン剤にステロイドが混入していた」と説明したせいで、証人として下院の偽証罪調査に協力させられる羽目となったのだが、このとき、「ステロイドを使ったこともないし、他に使っている選手も知らない」と証言していたのだった。―ところが、テハダも、昨年12月のミッチェル報告で汚染選手の一人と名指しされ、「連邦政府の調査に対し嘘をついた罪」を犯した疑いが浮上したのである。下院政府改革委員会は、ミッチェル報告がきっかけとなって、1月15日、3年ぶりにMLBにおけるドーピング問題を調査する公聴会を開催したが、その冒頭、「3年前のテハダの『偽証』について調査するよう、司法省(=FBI)に要請した」ことを明らかにしたのだった。
というわけで、3人の打者が、3年がかりでクレメンスの大ピンチのお膳立てを調えたのだが、なぜ、大ピンチであるかというと、クレメンスも、下院に証人として呼ばれているからである。ミッチェル報告が出た後、クレメンスは、大物弁護士を雇った上、テレビ番組のインタビューや記者会見で「潔白」を主張、同報告の内容を全否定してきた。しかし、今回下院がテハダの偽証罪調査に踏み切った理由は、「3年前の証言がミッチェル報告の内容と食い違う」ことにあった。もし、クレメンスが2月13日に開催が予定されている公聴会でも潔白を主張した場合、下院としては、テハダと同じく、クレメンスも「ミッチェル報告の内容と食い違う証言をした」という理由で告発しなければならない立場に立たされているのである。
そもそも、下院はミッチェル報告に関して選手を証人として呼ぶことには消極的だったが、にもかかわらず、選手を証人喚問する方向へと方針を転換したのは、クレメンスが全否定の大キャンペーンを展開、「白黒つけなければ世間が納得しない」状況ができてしまったからだった。
一方、クレメンスは、投手としては、どんなに不調なときでも弱みを見せることを嫌い、打者を威圧するためにはビーンボールを投じることさえ厭わない「強気の投球」で知られてきた。ピンチになればなるほど、打者に対して強気の勝負を挑んできたクレメンスだが、はたして、相手が議会やFBIに変わった後も、強気の勝負を挑み続けることができるのだろうか…。