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特攻で散った石丸進一を想いつつ、
オリックス・小瀬浩之の死を悼む。 

text by

小関順二

小関順二Junji Koseki

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photograph bySPORTS NIPPON

posted2010/02/10 10:30

特攻で散った石丸進一を想いつつ、オリックス・小瀬浩之の死を悼む。<Number Web> photograph by SPORTS NIPPON

オリックス・小瀬浩之外野手は、2月5日午前11時45分頃、春季キャンプ地の宮古島市内の宿舎ホテルで転落死しているのが発見された。昨シーズンは一軍で78試合に出場し、3割超えの打率をマーク。天性のバットコントロールと俊足で将来を嘱望されていた選手だった。享年24

俊足巧打でレギュラー奪取間近だった小瀬選手。

 2年前、連載していた雑誌に「俊足率.810の新人」と紹介したことがある。近畿大時代の小瀬を見て、俊足の目安となる打者走者の一塁到達タイム4.29秒未満(二塁到達8.29秒未満、三塁到達12.29秒未満)が21打数中17回あったという内容で、鈍足球団を活気づけるためにもレギュラーで起用したほうがいいと書いた。成績は順調に右肩上がりで伸び、昨年は打率.303(60安打)を記録し、今年のレギュラー奪取を十分に予感させた。

 自殺の可能性が大きいらしいが、自殺しなければならないような要因は少なくともプレーからは感じられなかった。誰に遠慮することなく精一杯のパフォーマンスを演じられる時代に生きながら、それでも死ななければならない原因があるのだとしたら、現代は鹿屋基地で考えたほど生きやすい時代ではないのかもしれない。しかし、特攻で死ぬという不条理を上回るほどの悪条件が現代にあるとはどうしても思えない。

 小瀬がもし特攻隊史料館に行き、隊員たちの遺品や遺言を見たらその心境に少しは変化があっただろうか。僕はあったと思う。数年前、ロッテの西岡剛が高橋慶彦コーチに連れられ、やはり鹿児島県知覧にある特攻平和会館に行き、「自分も明日、死ぬかもしれないと、その時初めて考えた。人生は一度きり。そう思うと遊んでばかりいられません」と感想を残している。小瀬にはこういうことを考えてほしかった。合掌

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小瀬浩之
オリックス・バファローズ

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