MLB Column from WestBACK NUMBER
膨らみ続ける野茂英雄の功績。
text by
菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi
photograph byAFLO
posted2008/09/24 00:00
先日の出来事だった。いつものように日本人メジャー選手を含め取材で知り合ったアスリートたちのブログや公式サイトをチェックしてしたのだが、ふと久しぶりに引退を表明した野茂英雄投手(この場ではあえて「投手」と表記させてもらいたい)の公式サイトを覗いてみた。すると本人の言葉と同サイト編集部からの告知というかたちで、9月いっぱいでサイトが閉鎖される旨が記されていた。
この告知をみた瞬間、自分の中でいきなり野茂投手の“引退”が現実のものとなっていった。7月に引退報道がなされた際は寂しさを感じてはいたが、どことなく絵空事のようにしか捉えることができないでいた。引退報道後に、野茂投手をよく知る日本ハムの吉井理人投手コーチが、自身の公式サイトで野茂投手の突然の現役復帰を期待する気持ちを綴っているのだが、私もまさに同じ心境だったからだ。
今回の引退表明もそうだが、これまで野茂投手は、グラウンド以外ではまったくといっていいほど公の場に顔を出していない。そんな彼の動きを唯一確認する術が、彼の公式サイトだった。現役続行を目指し右ヒジのリハビリを行っているだとか、実戦練習のためベネズエラのウィンターリーグに参加したとか、公式サイトをチェックしながら野茂投手がグラウンドに復帰する日を待ちわびてきた。だから引退表明後も、ある日突然公式サイトで現役復帰のニュースが飛び込んでくるような気持ちでいたのだが、そのサイト自体が閉鎖されることを知り、一気に引退の2文字が自分の目の前に突き付けられてしまったわけだ。
これまでも引退表明後に、多くの日本人メジャー選手らが野茂投手の功績を称えるとともに、日米の架け橋になってくれたことに謝意を述べていた。我々メディアにとっても同じことがいえる。彼のメジャー挑戦から14年経ち、日本人メディアは完全にメジャー球界に受け入れられ、確固たる位置を確立している。今や各球場のクラブハウスに掲示されているメジャーリーグ発行の取材規則は、英語、スペイン語、日本語の3枚が当たり前になり、日本人選手が所属するチームがある都市では普通に全米野球記者協会の会員として受け入れられている。また先日レイズの取材で、今年限りで幕を閉じるヤンキー・スタジアムを久方ぶりに訪れた際、記者席の最後列にズラリと日本各紙のプラスティック製プレート(短期取材の場合は紙が使用される。1年間席が保証されているという意味)が貼られているのを見て、何となく感慨に耽ってしまった。
特に自分自身の場合、野茂投手のメジャー挑戦が契機となり、この業界に身を寄せることになった。現在では「スポーツライター」なる肩書きで呼ばれるようになり、主にメジャーリーグの取材で生計を立てられるようになっている。それ以上に、スポーツ界の現場取材未経験だった自分に、取材のあり方、メディアとしてアスリートたちとどう対峙すべきなのか等、野茂投手を通じて取材の“いろは”を学ばせてもらったと思っている。だからこそ、このまま直接謝意を述べる機会すらなくなってしまう事態に、やりきれなさというか、満たされない気持ちを味わっている。
というか、仮に吉井コーチや自分の期待が叶わなかったとして、引退後このまま野茂投手が野球界から姿を消してしまっていいのだろうか。彼は間違いなく野球界の将来に必要不可欠な存在になるはずと思っているのは私だけではないはずだ。