チャンピオンズリーグの真髄BACK NUMBER
敗者の美学が見えてくる。
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byEnrico Calderoni/AFLO SPORT
posted2006/05/10 00:00
バルセロナ対アーセナル。パリの「スタッド・ドゥ・フランス」で行われる、チャンピオンズリーグファイナルが迫ってきた。0−3から3−3、そして延長PKにもつれ込んだ、イスタンブールで行われた昨季のファイナル(リバプール対ミラン)に劣らぬ、好試合になるのではと、この一戦に僕はかなりの期待を寄せている。
理由の多くは、下馬評で優位に立つバルサ側にある。他のビッグクラブにはないそのサービス精神が、娯楽性のアップに大きく貢献しそうな気がしてならない。
「結果と娯楽性は、車の両輪のような関係で目指すべき」とは、偉大な先輩ヨハン・クライフのお言葉だが、このクラブ哲学とも言うべき精神は、現在のバルサにも確実に受け継がれている。ただ勝つのはよろしくない。魅せなければダメなのだ。
「つまらない1−0なら、面白い2−3の方がよっぽどマシ」とは、オランダ人の口からたびたび発せられる台詞だが、チームの作戦参謀で助監督のテンカーテ(来季はアヤックスの監督に就任する)は、僕に対して、もう少しソフトにこう語った。「1−0ではなく3−2の試合を目指したい」と。
いずれにせよ、殴り合いをしたがってるわけだ。絶対に点をやるもんかと、がっちり守備を固める気はさらさら無い。先取点を奪っても2点目を、2点目を奪っても3点目を狙いに行く。アーセナルには、歓迎すべき相手である。敢闘精神剥き出しに、思い切りぶつかっていける環境が用意されている。「イタリアのチームを相手に先に1点取られたら、まず勝ち目はない」とは、かつて良く言われた台詞だが、バルサに先制点を奪われても、そうした絶望感は湧いてこない。むしろチャンス到来を意味している。試合内容も同様。むしろそこからがハイライトだ。
ところが、バルサは準決勝のミラン戦で1−0(アウェー1−0、ホーム0−0)の試合をした。バルサらしからぬ手堅い試合をした。勝利は収めたけれど、哲学に照らせば消化不良。バルサは苦戦し、ミランは善戦したとは、僕の見解だ。
なにより、バルサに「あまり喜ばしくない勝ち方」をさせたミランに拍手を送りたい。「勝つ時は少々汚くても構わないが、負ける時は美しく」とは、これまたヨハン・クライフの名台詞だが、ミランはこのクライフ哲学にも、ピタリとはまる申し分のない終わり方をした。戦い方でも、バルサの嫌がる理屈通りの攻撃を、何度となく、キチンと繰り返した。0−1の敗戦は不運といわざるを得ない。
W杯などでもそうなのだが、大会が大詰めを迎えると、勝つのはどこだ的な期待もさることながら、敗れたチームに対して、ふとラブリーな感情が押し寄せてくる。印象深い戦いをしたチームに対してはとりわけだ。ミランもそうだし、チェルシーもそうだ。敗れ去った瞬間には湧かなかった感情が、なぜかこの時期になると、どっと押し寄せてくる。
試合が終わった瞬間、たいていスポットは勝者に向けられる。敗者の存在は忘れられがちだ。しかし、いっぽうで、勝者の数は試合を重ねる毎にドンドン減る。敗者の数はドンドン増える。現在、勝者は2チーム。他は全て敗者だ。すると途端に、敗れ去っていったチームに懐かしさが込み上げてくる。負けていく姿に注目しているわけではないけれど、視点を俯瞰するように遠ざけていけば、その言い方は、的外れではなくなる。
「敗れる時は美しく」も、敗れた瞬間には違和感を抱かせる台詞だ。結果を目の前にすると、美しさはどうでも良い要素に見えてくる。美しくても負けちゃあお終いなんだよと結果至上主義者からお叱りを受けそうな、ある意味でとても暢気な台詞である。しかし時間が経つほどに、真意は伝わりやすくなる。結果至上主義者の中にも、内容重視主義者に転向していく人が続出する。過去に1度しか欧州一に輝いていないバルサの人気が、欧州随一である理由はそこにある。1度を除く全て敗者で終わっているにもかかわらず、それ以上の成績を残しているチームより人気があるという現実に、サッカー競技の真髄が垣間見られる。
そういう意味でビジャレアルには、もう少し時間が必要かも知れない。世の中の大多数は、準決勝でアーセナルが勝って、ホッと胸をなで下ろしたに違いない。アーセナルはイングランドのクラブながら、監督もエースもフランス人だ。そして決勝の舞台はパリ。ビジャレアルに番狂わせを起こされては、話は丸く収まらない。アーセナル戦を前にビジャレアルは、悪役の立場に置かれていた。
何を隠そう僕も、アーセナルが勝ってホッと胸をなで下ろしている一人なのだが、日が経てば経つほど、ビジャレアルの果たした役割が大きなものに見えてくる。彼らこそ美しき敗者の典型である。クラブのバジェットを考えれば、勝ったも同然。湛えられるべきはビジャレアル。アーセナルは大苦戦を強いられたことになる。
だが、大苦戦を強いられたバルサ、アーセナルの目の前には、明るい未来が待ち構えている。メディアが、ミラン、ビジャレアルにスポットを当てるタイミングとしては相応しくない。そのいっぽうで、サッカーファンそれぞれの胸の中には、懐かしさが去来し始めている。だから何だというわけではないけれど、いわゆる長丁場のトーナメントの決勝戦を前にすると、いろいろな思いが同時に交錯を始めることは確かだ。僕には、何とも言えない幸せな気分が込み上げている。