EURO2004 ポルトガル日記BACK NUMBER
ポルトガルのお披露目会となったユーロ2004
text by
カイ・サワベKai Sawabe
photograph byKai Sawabe
posted2004/06/17 00:00
開幕戦をパリ近郊在住のポルトガル人に混じって取材した後、一足遅れてポルトに入ると、ユーロ2004が溢れていた。
ポルトガルの国旗が極めて多くのアパートの窓やベランダにつり下げられ、元共産主義国の特別な日でもあるような感覚に陥る。30年前まで独裁者が君臨していたポルトガルではあるが、それにしても、「特別」な人たちがポルトガルにはたくさんいる訳だ。
TVでは、「ぽ・る・ちゅ・が・う」とポルトガル代表の応援を即する宣伝が流れ、一時的に「サッカー独裁国」になってしまったようでもある。
貨幣のユーロが統一される前、ポルトガルは「西ヨーロッパで一番貧しい国」と言われ、”ヨーロッパ”とは見られていないようなところもあった。しかし今回のユーロで、他のヨーロッパにも負けない新スタジアムが建設され、”ヨーロッパ”のレベルに少し近づいた。
この日、オランダvsドイツ戦が行われたポルトでは、オランダ・ファンのポルトガル人が多かった。どう見ても”オランダ人”には見えない、背が低くて丸っこいオバはんでも、”オレンジ色”を身にまとっているのが盛んに目に付く。
「ワタシャ、ドイツの暴れん坊が嫌いなのさ」
「オランダ・サッカーは嫌いじゃないし」
元ポルトガル植民地のマカオと日本はフェリーで20分もあればいけると思っているあるオバはんは、”オレンジ色”を身につける理由を話してくれた。
かなりの数のドイツ・サポーターも、いた割には、オレンジに町が占領されてしまったようだった。オランダのオレンジに対して、ドイツのシロとクロはかなり地味だ。でも、それ以外にも、オランダのオレンジ色にはなにか他のものを圧倒する力が入っているような気もする。ある種「特別な色」だ、と言っていいのかもしれない。だから、ポルトガル人にも愛されるのだろう。人間「色」出せば、それだけ認めてもらわれやすいということだろうか?
先のオバはんは、最後にやっぱりこう言った。
「でも、何たってポルトガルが世界で一番よ!」
”西ヨーロッパで一番貧しかった国”は、このユーロを通じて、自分たちの「色」をヨーロッパと世界にアピールする機会を与えられている。