チャンピオンズリーグの真髄BACK NUMBER

クラブに対する“ナショナリズム”。 

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杉山茂樹

杉山茂樹Shigeki Sugiyama

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photograph byMaurizio Borsari/AFLO

posted2007/12/11 00:00

クラブに対する“ナショナリズム”。<Number Web> photograph by Maurizio Borsari/AFLO

 今回は、このコラムのタイトルにストレートに迫りたい。「チャンピオンズリーグの真髄」とは?

 ピッチの上に限れば、レベルの高さになるが、もう少し大きな枠で捉えると「違和感」になる。言い換えればカルチャーショック。日本在住者の目には、チャンピオンズリーグで見るファンの気質は「違和感」そのものに映る。

 代表を軸に回る日本に対し、欧州はクラブ。ファンは国家より、街、地域、地区に対する“ナショナリズム”を激しく高揚させている。極めて局地的な民族主義をベースにチャンピオンズリーグは展開されている。

 試合中、スタジアムには他会場の経過が伝えられる。ハーフタイムのみならず、どこかで試合が動くたびに、オーロラビジョンを使って随時流すところもある。例えばリバプールの「アンフィールド」に、マンチェスターUがリードされているとの速報が流れれば、瞬間、歓声が反応鋭くドッと湧く。スタジアムには、喜びの渦が起きるのだ。一方で、マンUが同点に追いついたり、逆転に成功したりすれば、落胆のため息がドッと漏れる。

 ほとんどの場合、対戦相手は外国のクラブながら、それぞれのファンには、自国のクラブだから共に頑張ろうという意識は働かない。国外とのライバル関係より、国内のライバル関係が勝っているのだ。分かりやすく言えば「憎いのは、遠くの敵より近くの敵」となる。

 もちろん、イングランドに限った話ではない。欧州すべてがこのノリだ。来期以降の出場枠を左右するUEFAリーグランキングを考えれば、自国のクラブにできるだけ頑張ってもらった方が、その国には都合が良い。ファンもそれは百も承知している。彼らは、それでも敢えて、外国のクラブを応援する。

 昨季の準決勝、ミラン対マンU戦では、インテルファンは、マンUの勝利を願い、リバプールファンはミランの勝利を願った。決勝のミラン対リバプール戦では、インテルファンは、リバプールを応援し、マンUのファンは、ミランを応援した。イングランドサッカー界にとっては、マンUやリバプールが勝った方が、イタリアサッカー界にとっては、ミランが勝利した方が、有益であるに決まっている。でも、彼らは、国家にとって有益なことより、街、地域、地区にとっての喜びを優先させている。

 セビーリャのファンは言う。「どんな場合でも、我々はベティスが負けることを願っている」と。話を聞いたのは、05−06シーズン。ベティス対チェルシー戦の前日だった。

 アブラモビッチが財力で選手をかき集めたことや、監督モウリーニョの過激な言動が波紋を呼ぶなど、欧州はその時、アンチ・チェルシーのムードで染まっていた。ベティス対チェルシー戦はそんな中で行われた。セビーリャファンだって、チェルシーは嫌な存在に映ったはずだ。だからこそ僕は、彼らに「明日の試合は、どっちを応援する?」と、意地悪い質問をしてみたのだけれど、答えは「チェルシー」だった。例外なく、である。口が裂けても「ベティス」とは言いたくない敵愾心をそこに見た。

 一方のベティスファンは、先日のチャンピオンズリーグ第5週では、アーセナルを必死になって応援したに違いない。結果は、セビーリャの3−1に終わったのだけれど、ベティスファンの落胆は、アーセナルファン以上だった可能性がある。

 それこそがチャンピオンズリーグだ。今頃、インテルファンは、「ミラン負けろ」の思いで結束しているに違いない。クラブW杯でミランが優勝することを、誰より望んでいないのが、彼らになる。

 ミランは、まず浦和レッズとセパハンの勝者と対戦するが、例えば対戦相手が浦和になれば、インテルファンはダメもとを承知で、浦和の応援に回るはず。いま、ミラノの街は、正反対のメンタリティで真っ二つに別れているだろう。アンケートを採れば50対50、いや、ミラノの街にはユーヴェファンや地方出身者もかなりいるので、60対40から70対30ぐらいで「浦和の勝利を望む」という回答が上回ると僕は見る。

 この原稿は、浦和対セパハン戦の前日に書いているのだが、大宮アルディージャのファンが「セパハン頑張れ!」を願っているというニュースは、少なくともメディアを通しては伝わってこない。むしろ「浦和レッズ頑張れ!」的なムードを煽ろうとしているモノばかりだ。しかし、日本の一部にも、欧州的な局地的な“ナショナリズム”の存在を垣間見ることはできる。Jリーグのあるチームのスタンドには「我々はセパハンを応援します」と書かれた横断幕が掲げられたという。実際、いろいろな人に話を聞けば、セパハン頑張れの声は、けっして少数派ではないことが分かる。どこか別のチームの熱心なサポーターほど、アンチ・レッズの構えでいる。

 日本のサッカー界はいま、少しばかり混沌とした状態にあるのだ。欧州で、さんざんカルチャーショックを体験してきた僕には、それが面白く見えて仕方がない。

 「明日の試合。あなたなら、浦和を応援しますか? セパハンを応援しますか?」と、アンケートを採りたい気分である。もし大宮アルディージャファンの中に、現地で、セパハンサポーターと友情応援を繰り広げる輩がいれば面白い。これはちょっとした事件になる。混沌に拍車は掛かる。それに対し、メディアはどう向き合うのだろうか。

 95−96シーズンのチャンピオンズリーグファイナルは、ローマで行われた。対戦カードはユーヴェ対アヤックス。翌96−97シーズンのファイナルはミュンヘンで、対戦カードはドルトムント対ユーヴェだった。ファイナルのチケットは、対戦する2チームに各3分の1、残る3分の1は地元に分配される。95−96の場合なら、ローマ市民はユーヴェの応援に回ると考えるのが日本人だ。96−97なら、ミュンヘン市民はドルトムントの応援に回ると考えるだろう。でも、実際は逆。ローマ市民はアヤックスを応援した。スタンドはアヤックスの赤が3分の2を占めた。翌年も同様。スタンドは、ユーヴェホームと化した。

 それこそがチャンピオンズリーグの真髄である。そしてクラブW杯は、その文化の延長線上にある。「4年に1度のW杯」と同じノリで、「浦和レッズを応援しない日本人は非国民」と言い出す人と、クラブW杯との相性は、本来、滅茶苦茶悪い。「それ(代表)はそれ、これ(クラブ)はこれ」と区別すべき、まったく別物なのだ。そして「これ」を認めなければ、Jリーグは発展していかない。

 チャンピオンズリーグはそう語っている。

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