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<鉄人に訊け> 伊東輝悦さん、長く続ける秘訣は何ですか? ~新天地・甲府でJ出場試合記録更新中~
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byAsami Enomoto
posted2011/05/24 06:00
ベテランギャラリーとして、伊東輝悦、福田健二、明神智和、松田直樹の4人のベテランに気になる疑問をぶつけました。
Number Webではその中から、プロ入り以来18年間所属した清水を離れ、新たに甲府でのプレーを選択した伊東輝悦選手へのインタビュー記事を特別に全文公開します。
昨季限りで、18年間プレーした清水エスパルスを戦力外になった。18歳から36歳までの間で重ねた出場試合数は483。Jリーグ歴代トップの大記録だ。「エスパルスの伊東」として引退の花道を飾る選択肢を考えてもおかしくはなかったはずだ。
代表チームでも確かな足跡を印した。U-23代表として臨んだ'96年アトランタオリンピックでは、グループリーグ・ブラジル戦で決勝ゴールを記録。「マイアミの奇跡」の立役者になった。'98年フランスワールドカップでは最終エントリーに入り、トゥルシエ監督下では'00年にゲームキャプテンまで務めた。
そんな実績十分の伊東が今シーズン、新天地を求めた。行き先はヴァンフォーレ甲府。自身も「清水が恵まれていたと感じる」と認めざるを得ない環境のチームだ。J1復帰を果たしたばかりのクラブは、自前の練習場も、クラブハウスも有していない。
いったい、何がベテランのボランチをピッチへと駆り立てているのか。
「刺激ですよ、刺激。これがなかったら、とっくに選手はやめていると思う」
清水が生んだ稀代のファンタジスタがボランチに。
伊東は'95年、20代前半の頃に、プレーヤーとして「最大の転機」という刺激を経験している。
ボランチへのコンバートだ。それまでは「テルドーナ」「ゴムまりのようなドリブル」と評される天才テクニシャンだったが、時のU-22代表監督、西野朗に転身を促された。
「守備ばっかりするんだろうなと思っていたけど、意外にもそうじゃなかった。『やりたくない』って言えばそれまでだったけど、起用してくれる西野さんの期待に応えたかった」
なにせ幾多の代表選手を輩出する清水が生んだ、稀代のファンタジスタだったのだ。それがDFラインの前で地味に役割をこなすボランチと化した。少し大袈裟に言えば、日本サッカー界の損失と言ってもいい話だ。しかし伊東は、'01年を最後に代表を離れた後も刺激を上手く採り入れ、息の長いプレーヤーとして出場試合記録の金字塔を打ち立てている。
31歳で迎えた'06年シーズンから、3年連続で全試合出場を果たした。同じクラブの同じ環境でトレーニングと試合を繰り返す。単調にもなりかねない日々を13年間続けた上での結果だった。