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<甲子園特集> 沖縄野球の目指す場所。~ふたつの名門校を訪ねて~ 

text by

石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

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photograph byTamon Matsuzono

posted2009/08/04 11:30

<甲子園特集> 沖縄野球の目指す場所。~ふたつの名門校を訪ねて~<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

興南高野球部グラウンド。プロ野球選手を多数輩出しており、メジャーリーグに挑戦し、横浜などで活躍したデニー友利もOBのひとり

「魂知和」と書いて「こんちわ」と読む。

 '91年の沖縄水産を最後に、沖縄には2年連続で夏の出場を果たしたチームはない。沖縄水産、沖縄尚学、浦添商、那覇商、前原、那覇、宜野座、中部商、八重山商工群雄割拠の沖縄にあって、興南が我喜屋監督を沖縄に呼び戻そうとしたのは'06年、夏の甲子園が終了した直後のことだった。

「僕が興南に監督として来たときの子どもたちには驚いたねぇ。寝ない、起きられない、食べられない、整理整頓できない、挨拶できない、しゃべれない。もう、ないない尽くしで、お前たち、よくこれで甲子園を目指しますなんて言えたな、と(苦笑)。だから、生活面では容赦しなかった。学ぶ力があれば野球はうまくなるんですよ。『なんくるないさ(なんとかなるさ)』なんて絶対に言わせない。時間厳守、整理整頓、挨拶の徹底。それが、こんちわですよ」

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 こん、ちわ?

「ああ、それはね、『魂知和』と書いて『こんちわ』と読むんです。興南の野球部の創部当時のモットーなんです」

 魂を込めてこそ時間を守れる。整理整頓に知恵を使い、挨拶を徹底することで仲間との和を築く。そうか、だから“こん”がハッキリと聞き取れたのか。

 こん、ちわー。

 彼らの挨拶は、今の興南が目指す場所を象徴していた。興南は、我喜屋監督が就任して早々の'07年夏、いきなり沖縄大会の決勝戦に進んだ。そして、浦添商との引き分け再試合の激闘を、1年生の石川清太を夏の初先発に抜擢するという“我喜屋マジック”で制し、24年ぶりの甲子園出場を果たしたのだ。去年の夏は、1年生エースの左腕、島袋洋奨を擁して臨んだものの、沖縄大会の準決勝で東浜巨(現亜大)と投げ合い、沖縄尚学に敗れる。しかし秋の沖縄大会ではふたたび沖縄を制し、26年ぶりに春のセンバツに出場した。新2年生となった島袋が19個もの三振を奪いながら、富山商に初戦敗退を喫したゲームは、まだ記憶に新しい。興南は知将・我喜屋監督のもと、見事な復活を遂げていた。

沖縄水産を見守る三本のガジュマル。

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 ここにも、ガジュマルがあった。

 糸満の海に近い埋め立て地にある、沖縄水産高。グラウンドのホームの裏に一本、一塁側の小屋の脇に一本、三塁のトタン屋根から頭を出しているのが、一本。ここのガジュマルはかなり幹が太く、年輪を感じさせる。

「ずっと見守ってくれているんですよ。キジムナーもいるし、もちろん、栽先生もね」

 41歳の宜保政則監督がそう説明してくれた。キジムナーとは、ガジュマルに宿るといわれる精霊のことだ。そして栽先生とは、『大胆細心』をモットーに豊見城、沖縄水産の監督として、春夏あわせて17回の甲子園出場を果たした、沖縄の誇る名将・栽弘義である。

【次ページ】 沖縄水産・宜保監督はKK世代の41歳。

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