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新城幸也 「21回チャンスはある」 / ツール・ド・フランス2009プレビュー
text by
山口和幸Kazuyuki Yamaguchi
photograph byYuzuru Sunada
posted2009/07/07 11:30
「出場が決まったら、飛び跳ねるぐらいうれしいのかな、と思っていたんですけれど……。実際にチームから言われた時はポカーンとしていましたね。実感がないというか。どっちかというと、ほっとしたという感じでした」
大きな瞳を輝かせ、白い歯をのぞかせて新城幸也は語る。あっけらかんとしているのは、のんびりとした沖縄の石垣島で育ったことが影響しているのかもしれない。
'08年、プロ選手の登竜門といわれるツール・デュ・リムザンで区間勝利と総合3位の座を獲得。このレースでの実績が評価されて、フランスのチーム、Bboxブイグテレコムへの移籍を果した。契約時からGMのジャンルネ・ベルノードーは「ツールやジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャのような大きなレースで走る力はある」と、その実力を高く評価していたが、移籍1年目ということもありツールには出場させず、9月のブエルタに出場させる、と明言していた。
フランス人選手主体のフランスチームだけに、ツールに出場する9人のメンバーに外国人選手が割って入るのは、他チーム以上に難しい。当初、今年のツール出場は難しいと周囲は考えていたが、シーズンが進むにつれ、エースのためにアシストとして働く新城の評価が高まっていった。GM自身がツールを5勝したフランスの英雄ベルナール・イノーのアシスト役だったため、その重要性を強く認識していたのも良かったのかもしれない。信頼を勝ち取った新城は、移籍1年目にして9人のメンバーのひとりに抜擢されたのだ。
これは快挙と言っていい。
持ち前のポジティブ思考が快挙をもたらした。
しかも新城には大学受験の失敗、北京五輪日本代表落選も、ポジティブに考えられる明るさがある。
「北京五輪の代表に選ばれなかった時は残念だったけど、北京に行っていたら同時期のリムザンに出られなかった。リムザンに勝っていなかったら、今のチームでは走ってないと思う。だから五輪に行けなくてよかった、と今は思えるようになったし、大学受験に成功していたら高校時代に打ち込んでいたハンドボールを続けていて、自転車をしていないでしょう。そういう意味で僕の人生はうまくいってるんです」