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柔術マジックの進化は止まらない 

text by

近藤隆夫

近藤隆夫Takao Kondo

PROFILE

posted2004/07/01 00:00

 控室へと戻る通路、マリオ・スペーヒーが汗の光る広い背中を叩きながら言う。

「作戦通りだったな、これでいい」

 師に顔を向けた勝者ノゲイラは、一瞬、笑みを浮かべたが、すぐに表情を引き締める。その様子は、「まだ、ここでは喜べない、あと2つ勝つまでは……」と自らに言い聞かせているようにも見えた。

 試合の1週間前に来日したノゲイラの調整は順調だった。コンディションも良好。そのことは、異例の前日(注-傍点あり)公開スパーリングを行ったことにも表れている。

「ヒースも私も、この3年近くの間に経験とトレーニングを重ねて強くなった。互いに成長した分、前回よりもレベルの高い試合ができると思う。明日の試合はファイナルに進むためのステップだが、一本を奪って勝つつもりだ。そのための準備は、もう整っている」

 準備とは?

「私は常に新しいことを考えて戦ってきた。そうでないとレベルが上がり続けるPRIDEのリングでトップに立つことはできない。明日は、ここまで私がやってきたことの成果を、お見せできると思う」

 '01年11月、東京ドームでの『PRIDE17』で初代PRIDEヘビー級王座を懸けてノゲイラとヒーリングは対決している。得意の関節技を仕掛けるノゲイラ、決められそうになりながらも脱出し続けるヒーリング。膠着のないスピード感とスリルを伴った攻防が好勝負と絶賛されたことは記憶に新しい。しかし、この好勝負で評価を上げたのは、勝利し腰にベルトを巻いたノゲイラよりも、むしろ、20分間戦い、柔術マジックから逃げのびた敗者ヒーリングの方だった。彼は、これまでにPRIDEのリングで15試合を戦い、計4度敗れている。ミルコにKOされ、ヒョードルにはTKOに追い込まれた……。それでも、まだ一度も関節技を決められて負けたことはない。サブミッションに対する防御においては絶対の自信を持っている。

 ノゲイラは繰り返して言う。ヒーリング戦はファイナルへのステップだと。それでも、ヒーリングから得意の柔術技で一本を奪うことで、この2年余りの自らの成長を確認しておきたいとの思いも強くあったに違いない。

戦前の大方の予想はノゲイラ有利。それでも判定決着の可能性が高いと見る向きは多かった。実際に1ラウンドが終わった時、観る者の多くは、判定に持ち込まれると思ったのではないか。なにしろ、2年半前と戦いの模様が酷似していた。アームロック、腕ひしぎ十字固め、オモプラッタ、下の体勢からの三角絞め…… ノゲイラは次々と技を繰り出すも、その度にヒーリングの体は巧みに反応した。我慢して我慢して、一瞬の隙に躍動を集中させて体を返す。しかし、ラウンド終了のゴングを聞き立ち上がってコーナーに戻るノゲイラの表情に焦りの色はなかった。予想範囲内の展開だったからである。

 そして2ラウンド、開始から僅か30秒後にノゲイラは勝ち名乗りを上げていた。決まり技は、スピニングチョーク。前回、グランプリ1回戦の横井宏考との試合で勝利したのと同じ技だった。がぶった状態から左腕をフロントスリーパーの形で首に巻きつけて前腕部をヒーリングの喉元に喰い込ませる。そのまま体を右側へ半回転させると、苦痛で歪んだヒーリングの表情が観衆に晒された。

 ノゲイラは振り返る。

「オモプラッタもトライアングルも逃げられることは予測していた。彼は私をよく研究しているからね。作戦は、こうだった。まずは打撃でプレッシャーをかける。追い込んでヒースにロープを背負わせる。そうすれば彼は苦し紛れに足を狙って(タックルに)くるだろう。切って、がぶって、そこから決めるつもりだった。私は、この新しい技(スピニングチョーク)を弟のホジェリオを相手に、一日何十回も練習し続けてきたんだ」

 最初の10分間、ことごとくノゲイラの柔術マジックを封じたヒーリングの肉体も、この初体験の、練り上げられた技に反応することはできなかった。まさに「新たな動き」での「作戦通り」の勝利だったのである。

 敗れたヒーリングは、これで一度、リングを離れることになるかもしれない。敗戦のショックからではない。この試合の前から彼は悩んでいた。仲間たちが多くイラクに派兵されている。自分も米国民としてイラクに行くべきではないかと。本気で、そう考えている。

 ノゲイラは決勝ラウンドへと駒を進めるわけだが、準決勝で小川直也と戦いたいとハッキリと口にした。

「何かのテレビ番組で、『PRIDEファイターはアマチュア……』そんな意味の解らないことを言ったそうだが、私がオガワにプロとは何かを教えてあげたいと思う」

 普段は、他のファイターについて言及することのないノゲイラが、さらに続ける。

「オガワが強いことは解っている。彼のシルバとの試合も観た。シルバは体は大きいがキャリアの浅い選手。次からがオガワにとっての本当の戦いになるでしょう。準決勝でオガワと戦い勝ち、そして決勝でヒョードルと戦って借りを返したい」

 決勝ラウンドの組み合わせ方法は未定。大会後の記者会見でも榊原信行DSE社長は、「ファンの声に耳を傾けたい」と話すに留めた。ただ、関係者の話によると公開抽選を行うという選択肢も消えてはいない。その際には、ミドル級グランプリの時と同様に「PRIDE」と記された紙を引いた選手が対戦相手を指名することになりそうだ。ノゲイラが引けば、小川との対戦が決定する。

 ノゲイラは8月にすべてを懸ける覚悟だ。

「私は、今回のグランプリで優勝するために何ひとつ妥協するつもりはない。いまのままで勝てるとも思っていない。皆が、日々進歩しているからね。だからまた……、新しいことを考えている」

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