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靭帯損傷の尊富士に師匠は「止めておけ。力が入らないなら無理だ」 休場か、強行出場か…110年ぶりの快挙を生んだ“究極の選択”の舞台裏 

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荒井太郎

荒井太郎Taro Arai

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posted2024/03/31 17:01

靭帯損傷の尊富士に師匠は「止めておけ。力が入らないなら無理だ」 休場か、強行出場か…110年ぶりの快挙を生んだ“究極の選択”の舞台裏<Number Web> photograph by JIJI PRESS

春場所で110年ぶりの新入幕での優勝を成し遂げた尊富士(24歳)。14日目に右足首の靭帯を損傷し、一時は千秋楽出場も危ぶまれていた

 その瞬間から奇跡が起きた。「記録よりもお前は記憶に残る力士になるんだろ。勝ち負けじゃない」という横綱の言葉が、心を奮い立たせてくれた。

「さっきまで歩けなかったけど、横綱に『立て』と言われて、自分で少し歩けるようになったんです。自分でも怖いくらいだった」

 その足で親方に出場を直訴。「お前がやりたいなら、俺は反対しない」の一言で腹は決まった。

「土俵に上がれば、何かが生まれる」

「人の勝ち負けを待っている場合じゃない。休んだら一生悔いが残る。この先が終わってもいいと思っていたんで」

 相撲人生を懸けた大一番は、立ち合い変化も頭の中にあった。「正直、勝てばいいという気持ちも少しはあった」という考えはすぐに打ち消した。それよりも「自分の手で賜盃を掴みたかった」という思いが優った。

 馬力のある豪ノ山に対し「最後は気力だけで取りました」と立ち合いは右で張って左を差すと右上手を引きつけてがむしゃらに出た。上手は切れたものの、最後は渾身の力で相手の腹のあたりを突いて押し倒し。「覚えてないです。何が何だかわからなかった」と無我夢中の相撲で勝ち取った新入幕優勝は、1914年(大正3年)夏場所の両國以来、110年ぶりの大快挙。大銀杏が結えない“ちょん髷”優勝は史上初。殊勲、敢闘、技能の三賞総なめのおまけまでつき、24歳の若武者は記録にも記憶にも残る大仕事をやってのけたのだった。

「昭和のお相撲さんはケガをしても出ていた。靭帯損傷ぐらいは大したことはない。土俵に上がれば、スポーツというより男の勝負。土俵に上がれば、何かが生まれる。ケガを忘れて土俵に上がりました」

 令和の土俵に突如、現れた超新星の心の中には、日本古来の力の士(もののふ)の精神がしっかりと宿っていた。

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