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「彼は親友だった」あのピーター・アーツが号泣… “傷だらけの暴君”はなぜ戦い続けたのか? カメラマンの心が震えた「40歳、K-1最後の戦い」

posted2024/03/23 17:11

 
「彼は親友だった」あのピーター・アーツが号泣… “傷だらけの暴君”はなぜ戦い続けたのか? カメラマンの心が震えた「40歳、K-1最後の戦い」<Number Web> photograph by Susumu Nagao

2010年の『K-1 WORLD GP』準決勝、絶対王者セミー・シュルトに猛攻を仕掛ける40歳のピーター・アーツ。この日がK-1での最後の戦いとなった

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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Susumu Nagao

いつも笑顔を絶やさない、あのピーター・アーツが泣いた――亡き友への思いを胸にリングに立ち続けた“20世紀最強の暴君”は、なぜ全盛期を過ぎても絶対王者に勝利することができたのか。アーツと30年来の交流があるフォトグラファーの長尾迪氏が、日本を愛し、日本のファンに愛された「ミスターK-1」の実像に迫った。(全2回の2回目/前編へ)

アーツが感情をあらわにした“ふたつの激闘”

「彼はとても近しい親友だった。試合だけでなく、テレビ番組やコマーシャルの仕事も沢山したよ。プライベートでも多くの時間を一緒に過ごした。わざわざ結婚式にも来てくれたんだ」

 ピーター・アーツが振り返る“彼”とは、2000年8月24日に急性前骨髄球性白血病で他界したアンディ・フグのことだ。そのときのことはよく覚えている。フグの入院先だった病院で、緊急の記者会見が開かれた。会見場には見たこともないくらいの数の報道陣が来ていたが、アーツはメディアなど目に入らないかのように号泣し、ただただ悲嘆に暮れていた。

 そんな関係性を聞いて、あらためて思い出した。普段はスマートで冷静な試合をするアーツが、感情をあらわにし、どうしても勝ちたいという気持ちを見せた試合があったことを。

 ひとつは後で触れる2010年のセミー・シュルト戦。そしてもうひとつは、2000年12月のシリル・アビディとの戦いだ。アーツは2000年7月にアビディと初対決してKO負けを喫している。翌月にグランプリの開幕戦でアビディとのダイレクトリマッチが組まれたが、怪我によるTKOで連敗。フグが亡くなったのは、この敗戦の4日後だった。

 本来であれば出場資格のないアーツだが、主催者推薦枠として急遽12月のトーナメントに出場することになった。1回戦の相手は因縁のアビディ。序盤にアーツがダウンを奪ったが、バッティングで眉の上をカット。2度目のバッティングを受け、傷口が広がり血が止まらない。

 感情をむき出しにして戦うアーツだが、激しい流血と傷の深さからドクターチェックが入る。左目の上がざっくりと大きく切れている。通常なら試合を止められる状態だ。アーツはドクターに何やら強硬にアピールしているが、私の位置からでは聞こえない。おそらくは「試合を止めるな、やらせろ」と言っていたに違いない。

【次ページ】 「タイミングにズレが…」撮影者が感じたアーツの衰え

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ピーター・アーツ
アンディ・フグ
セミー・シュルト
シリル・アビディ
ステファン・レコ
アレクセイ・イグナショフ
アーネスト・ホースト
ボブ・サップ
ジェロム・レ・バンナ
把瑠都
アリスター・オーフレイム

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