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“史上最強の助っ人”バースが70歳に…阪神入団のウラにあった究極の選択とは?「バースに最も尊敬された監督」安藤統男が築いた日本一の礎 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2024/03/13 11:02

“史上最強の助っ人”バースが70歳に…阪神入団のウラにあった究極の選択とは?「バースに最も尊敬された監督」安藤統男が築いた日本一の礎<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

'85年のバースは打率.350、54本塁打、134打点で三冠王に輝いた

「安藤さん、なんで辞めたんですか?」

 翌'85年、安藤の後を継いだ吉田義男監督のもとで、阪神は球団史上初となる日本一を達成する。安藤が手塩にかけて育てた掛布、岡田、真弓、佐野らが躍動し、自らが獲得を決めたバースが大活躍した。さらに、監督在任中に入団した木戸は正捕手の座をつかみ、池田も中西も日本一に大きく貢献した。

 安藤が蒔いた種は着実に花を咲かせ、実を結んだのである。

「日本一になったのは、本当に嬉しかった。球団にいろいろ不満はあっても、選手たちは皆かわいいですから。その後、何度も掛布に怒られましたよ。“安藤さん、なんで辞めたんですか? そのまま監督やってたら、一緒に日本一を味わえたのに”って」

 後に掛布は、自著『プロ野球これはマイクでしゃべれない!』(学習研究社)において、安藤のことを「監督というより“恩人”」と述べ、バースは『バースの日記。』(集英社文庫)の中で、「ミスター安藤は、日本で唯一オレが尊敬してやまない監督だった」と言い、「日本人にしてはめずらしくロジカルにものごとを進める人」と絶賛している。

 '85年、球団史上唯一の日本一の陰には、間違いなく安藤の功績があった。現在、84歳となった彼に、改めて監督時代の3年間を振り返ってもらうと、小さく微笑んだ。

「優勝できるチームを作らないかん。そんな思いで一生懸命取り組んだことは確かです。 もちろん、“日本一になったのはオレのおかげだ”なんて自己顕示欲は微塵もありません。選手たちが一生懸命に頑張ってくれて、本当に嬉しかったな」

 監督在任中は深夜の無言電話に悩まされ、自宅にはカミソリの刃やゴキブリの死骸の入った匿名の封筒が届いた。それでも、精魂込めて取り組んだ3年という日々に悔いはない。最後に、「もし、そのまま監督を続けていたら?」という質問を投げかける。穏やかな口調で安藤が口を開く。

「優勝するには選手を酷使して潰す覚悟も必要かもしれない。はたして自分は非情になり切れたかどうか……その自信はありません」

 御年84歳の好々爺は静かにほほ笑んだ。

安藤統男Motoo Ando

1939年4月8日、茨城県生まれ。土浦一高、慶大を経て'62年阪神入団。12年間で922試合に出場した。引退後は阪神の一軍コーチ、二軍監督などを歴任し、'82年から3年間一軍監督に。退任後、'87年から'89年までヤクルトコーチを務めた。現在はスポーツ報知の評論家。

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