マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER

「菅野智之は大谷翔平の“ダミー”だった」との噂まで…2012年日ハム「大谷1位指名」のウラになぜ巨人のエース? いま振り返る“大谷ドラフト狂騒曲” 

text by

安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

PROFILE

photograph byJIJI PRESS

posted2024/03/13 06:01

「菅野智之は大谷翔平の“ダミー”だった」との噂まで…2012年日ハム「大谷1位指名」のウラになぜ巨人のエース? いま振り返る“大谷ドラフト狂騒曲”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

MLB挑戦を表明しながら、2012年のドラフトで日ハムから強行指名を受けた大谷。球団側の真摯な交渉もあり、結果的に入団を決めることになる

 いずれにしても、ほとんどの球団が、「大谷翔平」という存在には、腰が退けていたのは間違いない。

「あの年のハムは、必死でしたよ。前の年に、ムリ筋で菅野にいって、失敗しているでしょ。ドラフトって始まった頃(※1965年頃)はともかく、もう菅野の頃になると、指名イコール入団が常識みたいになってましたから。入団拒否なんて、大ニュースになるわけですよ。プロ志望届って制度も定着してて、プロ入りを望んでいる選手しか指名できないわけでしょ。だから、いくら相手が<菅野>でも、現象としてはフロントの完全な大エラーになるんですよ」

 逆に、日本ハムフロント陣にとっては、大失策を巻き返すまたとないチャンスとなったのが、「大谷翔平獲得」だったのかもしれない。

データを用いて具体的に大谷を説得した日ハム

 従来の「ウチへ来てくれ!」という情に訴える懇願型ではなく、日本ハムはまず、メジャー挑戦ありきを前提として、それには日本のプロ野球経由でメジャー挑戦した方が成功率が高いことを、具体的に資料を示して大谷本人や家族、関係者たちに説明する方法をとった。

 その内容は主に、当時盛んに行われていた韓国の高校生・大学生のメジャー挑戦の実態を例に挙げ、その過酷な実情をデータ化したものだった。

「まったく新しい交渉方法ですよ。正直言って、『やられた!』と思いましたね。栗山英樹監督(当時)が考えたのか、フロント陣のアイディアなのか、いずれにしても、近い将来のメジャー挑戦はぜんぜん構いません、そのために最善のプロセスを考えましょう……ってスタンスで、日本ハムは大谷と向き合ったわけです。だから、大谷側に断わる理由がなくなっちゃった」

 実は大谷翔平選手が、直接のメジャー挑戦をひるがえし日本ハム入団を決めた頃、こんな奇怪な噂が流れたことがあるという。

【次ページ】 球界のご意見番も「絶対、無理」と思った“二刀流”

BACK 1 2 3 4 NEXT
大谷翔平
花巻東高校
ロサンゼルス・エンゼルス
ロサンゼルス・ドジャース
菅野智之
読売ジャイアンツ
藤浪晋太郎
東海大学
増田達至
栗山英樹

プロ野球の前後の記事

ページトップ