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野村克也と落合博満「交流戦のたびに個室にこもって…」4人の証言者が語る“ID野球”と“オレ流”「なぜ2人はウマがあったのか?」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2024/02/11 11:05
言葉をかわす野村克也(右)と落合博満
野村と関わり、落合と交わった4名。彼らの話から、表面上の相違点はいくつも見つかった。一方で、全員が共通して述べていたのが、両者の「野球に対する造詣の深さ」だった。
後に、楽天で野村と橋上は「監督とヘッドコーチ」という間柄になり、さらに関係が深まることになる。当時、中日監督だった落合と野村は、交流戦になるたびに個室にこもり、二人だけで長時間話し続けた。
「二人はウマが合ったのでしょうね。それぞれのチームも投手力を中心に守り勝つ野球を目指していました。二人ともバッターとして超一流で、バッティングの難しさを知っていたからこそ、“打つことは確率が低いんだ”ということが身に沁みていたのだと思います」
川崎もまた「両者は似ている」と言う。
「監督時代の落合さんは感情を表に出さない人だったけど、YouTubeでの姿を見てもわかるように、本当はノムさんと同じく人情味あふれる人なんですよね」
「ゴールは一緒だけど、入り口は逆だった」
一方で、「両者は似ているけれども、そのベクトルは逆だった」と口にしたのが井端と秦だった。
「野村さんは選手を“組織”に的確に当てはめていったけれど、落合さんは“チームが勝てば自分が評価されるんだ”と、あくまで“個”を選手に意識させていた。優勝というゴールは一緒だけど、その入り口は逆だった気がします」(井端)
「我が道を行くのが落合さんの魅力で、組織に縛られずに自分本位でやっていく。それは“個”が頑張ることで“組織”が活性化するという考え方です。野村さんが“組織”のために“個”を活用していたのとは正反対でしたね」(秦)
ともに野球を愛し、研究し、独自の監督像を築き上げた。野村の掲げた「ID野球」も、落合による「オレ流采配」も、多くの人々を今もなお惹きつけている。最後に、両者をよく知る橋上の言葉を引用したい。
「現在の野球を見ていても、何となく底が見えるような感じがファンの人にもあるのでしょう。野村さん、落合さんを通じて野球の奥行き、奥深さを感じたい人がまだまだいる。だから、この二人に対する興味が未だに尽きないのではないでしょうか」
(全2回・完)
橋上 秀樹Hideki Hashigami
1965年11月4日、千葉県生まれ。安田学園高から84年にドラフト3位でヤクルト入団。97年に日本ハム、2000年に阪神に移籍。同年限りで引退後は楽天、巨人、西武、日本代表などでコーチを歴任。現在はオイシックス新潟アルビレックスBC監督。
川崎 憲次郎Kenjiro Kawasaki
1971年1月8日、大分県生まれ。津久見高から 89年にドラフト1位でヤクルトに入団。93年に日本シリーズMVP、94年に初の開幕投手、98年に沢村賞。2001年に中日に移籍し、04年引退。13、14年はロッテでコーチ。現在は解説者。
井端 弘和Hirokazu Ibata
1975年5月12日、神奈川県生まれ。堀越高、亜大を経て98年にドラフト5位で中日に入団。2014年に巨人に移籍し、翌年引退。16年から18年まで巨人でコーチを務めた。ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞7回。解説者を経て、現在は日本代表監督。
秦 真司Shinji Hata
1962年7月29日、徳島県生まれ。鳴門高、法大を経て85年にドラフト2位でヤクルトに入団。90年に捕手から外野手に転向。99年に日本ハムに移籍し、2000年にロッテで引退。ロッテ、巨人等でコーチを務めた。現在は解説者。