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野村克也が命名、F1セブンは「単なる思いつきですよ」阪神時代の腹心&選手が振り返る“アレ”「監督自らホームスチールの指導を…」「野村さんはキャッチコピーの名人」
posted2024/02/11 06:00
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
JIJI PRESS
2001年、阪神監督時代の野村克也が売り出した俊足軍団「F1セブン」。名将は一体、どんな思いを込めていたのか。名付け親亡き今、急発進を命じられた3選手と腹心にその答えを尋ねた。全2回の第1回(初出:2021年6月17日発売 Number1029号[俊足軍団の述懐] F1セブンとノムラの遺産)
「アレ」「思いつき」…F1セブンとは何だったのか
野村克也が阪神タイガースの監督だった1999(平成11)年から2001年までヘッドコーチを務めた松井優典は言う。
「アレは単なる思いつきですよ」
あるいは、阪神時代に野村の下でプレーした沖原佳典も口をそろえる。
「アレは単なる語呂合わせから始まったもので、ただの思いつきだったものです」
松井、そして沖原がそれぞれ「思いつき」と言い、「アレ」と口にしたものは何か? 就任3年目であり、結果的に阪神監督の最終年となる2001年に突然誕生し、同年限りで自然消滅したムーブメント。それが「F1セブン」だった。沖原は続ける。
「あの年の阪神には足の速い若手選手がたくさんいました。そこで野村さんは僕らを売り出すために、そして相手チームに対して、“今年の阪神は足を使った野球をするぞ”というアピールを込めて、《F1セブン》と名づけたんです」
報道陣との話の流れからたまたま生まれた
2001年2月6日、春季キャンプ練習終了後のことだった。野村は報道陣との間でこんなやり取りを残している。
「1号車に赤星(憲広)、2号車に藤本(敦士)、3号車に沖原。3号車までの選手には試合に出てもらいます。4号車には上坂(太一郎)、5号車に平下(晃司)、6号車に松田(匡司)、7号車に高波(文一)。これでお願いします」
このときのことを松井はよく覚えている。