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「あれには腹が立った…」巨人・落合博満40歳は激怒していた「絶対に中日は優勝させない」マスコミの猛批判、落合が許せなかった記事 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2024/01/28 11:01

「あれには腹が立った…」巨人・落合博満40歳は激怒していた「絶対に中日は優勝させない」マスコミの猛批判、落合が許せなかった記事<Number Web> photograph by KYODO

1994年、伝説の試合「10.8決戦」。巨人1年目の落合博満(40歳)は古巣相手に闘志を燃やしていた

「まだ、当時の僕はホントに若造でした。覚えているのは僕から見て、落合さんや原さんの方が、もの凄く張り詰めた空気を持っていたことですね。前日に新幹線で名古屋に入ったんですけど、移動のときから、何かね、もの凄くピリピリしたものを持っていた。(中略)試合の重さは十分に分かっていました。緊張もしてたし、張り詰めたものもあったんですけど、やっぱり落合さんとかは、僕なんかの比ではない感じがしましたね」(Number626号)

 入団2年目の松井秀喜は、名古屋都ホテルにつくと、ほとんどの選手が外出を控える中、その夜もいつも通り食事に出掛けた。1994年シーズン、三番打者としてすでに19本塁打を放っていたが、年間を通して試合に出続けるのはこの年が初めてで、いわばレギュラー定着1年目という立場だった。一軍選手で最も若く、無我夢中で試合に出続けるうちに130試合目の決戦に辿り着いた。だからこそ、自分よりふた回り近く年上の落合のただならぬ様子に驚かされたのである。

「オレが打てばいいんでしょう」

 130試合目の中日先発投手は、今中慎二の登板が確実視されていた。このシーズンのナゴヤ球場での対巨人戦は4勝1セーブ、防御率1.85。4年越しで11連勝中という巨人キラーである。前年は沢村賞に輝き、1994年も13勝を挙げる球界屈指のサウスポーに対しては、さすがの落合も通算28打数6安打の打率.214と苦手としていた。決戦前夜、巨人ナインは今中からヒットを打っている場面だけを編集したビデオに加え、左腕のフォームのクセを解析した映像を食い入るように見た。しかし、落合だけは、その映像にまったく興味を示さなかったという。7日夜、一軍サブマネージャーの所憲佐は、「オチ、明日はどうだろうか」と聞いた。

「すると、ふだんは無口な落合が、このときはこともなげに『オレが打てばいいんでしょう。打ってやるよ。今中を打つ自信はある』と答えた。所が思わず冗談で『お前、今までナゴヤでは今中から1本もホームランを打ってないな』とまぜっ返すほど、落合の態度には揺るぎないものがあった」(激闘と挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)

長嶋監督「やはり落合でした」

 翌8日午後3時過ぎ、名古屋都ホテル5階の「サロン・ド・都」で行われたミーティングの最後、長嶋監督の「勝つ! 勝つ! オレ達が絶対勝つ!」という伝説的な雄叫びに背中を押され、巨人ナインはナゴヤ球場入り。1200人警備の超厳戒体制の中、異例の午前11時開門でファンがスタンドになだれこむ。オリックスのイチローも、愛知出身の元野球少年の血が騒ぎ、どうしても生で観戦したいと神戸での練習を終えると名古屋行きの新幹線に飛び乗った。

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