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青学大・原晋監督が“傷だらけのエース”に「4年間、ありがとう!」…出岐雄大が振り返る“最後の箱根駅伝”「どんな状態でもゴールしようと」 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byAsami Enomoto

posted2024/01/06 11:02

青学大・原晋監督が“傷だらけのエース”に「4年間、ありがとう!」…出岐雄大が振り返る“最後の箱根駅伝”「どんな状態でもゴールしようと」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

満身創痍で“最後の箱根駅伝”に挑み、ゴールテープを切る青学大4年時の出岐雄大さん。アンカー起用の裏には、原晋監督の熱い思いがあった

「原監督に認めてもらえる人間に」

 あの軽快なリズムのピッチ走法で、今の厚底シューズを履いたらどれだけの記録が出るだろうとも想像してしまうが、陸上への未練はまったくないようだ。

「記録とかを見ても、5年、10年前とは全然違うので、もうなんか別物って気がします。厚底シューズは履いたこともないです」

 ほんの少しの悔悟があるとすれば、それは会社に対する罪悪感だろうか。少なからぬ関係者が獲得に動いてくれたのに、ほとんど結果で応えることができなかった。出岐さんは「いろんな方に迷惑をかけました」とうつむくが、そこまで気にしなくてもいいように思える。採用にあたって、企業側は競技力だけでなく人間力を評価していたはずだ。陸上で結果が残せなくても、しっかりと社業に打ち込めば良いのだから。

 まさに恩師がその良い例ではないか。ケガの影響で入社5年目に陸上部を辞め、そこから奮起して、伝説の営業マンになったのが原監督である。エコアイスを盛大に売り出し、会社に貢献した後は、きっぱりと退路を断って指導者の道に進んだ。33歳という年齢であれば、今後、出岐さんの人生にもいくつかの“分岐点”が出てくるだろう。

「もしそういうことがあれば、今度はちゃんと心の声に耳を傾けて、自分が本当にやりたいことなのか、しっかり判断して決めたいですね」

 原監督は中国地方のテレビ番組にもレギュラー出演しているそうで、出岐さんとは今も、数カ月に1度くらいのペースで会って話をするという。

「いつも決まって『お前もまだまだだな』って(笑)。まずは早く、監督に認めてもらえる人間になりたいです」

 前途はきっと、明るい。そう思わせる笑顔だった。

<第1回、第2回から続く>

#4に続く
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