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実況も「駅伝にトラウマがある」…《箱根駅伝優勝》青学大7区・山内健登の波乱万丈“全日本で大ブレーキ”から3年越しのチャンスを掴むまで

posted2024/01/04 17:03

 
実況も「駅伝にトラウマがある」…《箱根駅伝優勝》青学大7区・山内健登の波乱万丈“全日本で大ブレーキ”から3年越しのチャンスを掴むまで<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

箱根駅伝で総合優勝の青学大7区を走った山内健登(4年)。1年目の大ブレーキで失った信頼を3年かけて取り戻し、最後のチャンスを掴んだ

text by

和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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Yuki Suenaga

「箱根駅伝で4連覇をしたのを見て、それを夢見て入学したので、4年生の最後になって優勝できて良かったです」

 第100回箱根駅伝。青山学院の7区を走った山内健登には万感の思いがあった。

 山内が本格的に陸上競技を始めた中学生の頃、箱根駅伝で無双状態だったのが青山学院だった。自身も箱根の栄光をつかむために最強軍団に入ったものの、その舞台に立つことがなかなかできなかった。

 そもそも山内は1年目から期待された選手だった。鹿児島・樟南高校から青学大に入学すると、全日本大学駅伝では1年時から出走メンバーに選ばれている。

 しかし、その全日本が山内にとってほろ苦いデビューになった。

 同級生の佐藤一世が5区で区間賞の走りを見せ、6区の山内は先頭と10秒差の2位でタスキを受けた。ここで先頭を奪えば山内はヒーローになっていただろう。しかし、トップに立つどころか、4人に抜かれ6位に後退してしまった。

 7区で当時4年生の神林勇太が5人を抜いて先頭に立ち、山内のミスを見事にカバーしたものの、結局チームは優勝を逃し4位に終わっている。

 もちろん山内の走りばかりが敗因ではない。だが、流れが大事な駅伝という競技で、その流れを山内が断ち切ってしまったイメージは残った。

「1年生の時の全日本でブレーキしてしまいましたが、その後の神林さんの走りにはメンタル的な部分で本当に救われました。自分もそういう走りがしたいと思っていました」

 全日本の借りを返そうと、先輩の神林のように仲間をフォローする役割を果たすことを誓ったものの、当然1年目の箱根は出場が叶わなかった。

全日本でのブレーキ→なかなか来ない挽回のチャンス

 そして、その後も2年目、3年目と山内には駅伝の出番は回ってこなかった。

「ブレーキをしてしまったとはいえ、(1年目から)全日本を走ったという実績に少し浮かれていた部分があったのかな」

 苦汁を舐めた一方で、山内自身がこう振り返るようにどこかに慢心もあった。

 とはいえ駅伝では出番がなくても、山内は5月の関東インカレではきっちりと結果を出し続けてきた。

 スピードを武器とする山内の活躍の場は1500mという種目。2年時は6位入賞。3年時には優勝を成し遂げている。

【次ページ】 今シーズンは大学三大駅伝すべてに起用

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