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35歳で“まさかの戦力外→育成契約”…「ほんとは服飾デザイナーになりたかった」ロッテ・石川歩の昔話「自信なんて全然なくて」がプロ76勝の軌跡 

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安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/12/28 17:03

35歳で“まさかの戦力外→育成契約”…「ほんとは服飾デザイナーになりたかった」ロッテ・石川歩の昔話「自信なんて全然なくて」がプロ76勝の軌跡<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2013年にドラフト1位でロッテに入団した石川。今年10月に戦力外通告→育成再契約を経て球団に残ることが決まった 

 立ち話だったが、いろいろ話した。印象的だったのは、「自分、もう中部大の石川歩じゃないんで」……そんなフレーズを二度、三度繰り返したことだ。

 こちらを見下ろす目の強さが別人だった。うっすらとヒゲも生やしていたように思う。前の年、やはりどこかの球場で目が合った時には、スッと、いつの間にかいなくなっていたのに。

 その年の石川歩投手がすごかった。東京ガスの絶対的エースとして、マウンド上で胸郭を存分に広げて、大きく立ちはだかっている支配感。見下ろしの上から目線で豪快に腕を振り下ろし、150キロに迫る快速球で、高速フォークで、ピンチに三振を続けて奪ってきり抜ける。

 ドラフト会議では、千葉ロッテと読売ジャイアンツの2球団の1位指名が重複。伊東勤監督(当時)がくじを引き当てて、千葉ロッテに進んだ。

 ちょっと調べてみて、驚いた。

 入団した2014年に新人王を獲得して以来、10年間で76勝を挙げたが、一軍で登板できなかった今年を除いた9年間で、150イニング前後投げたのが7年、しかも、勝ち星より負けが多かった年は2017年の一度だけ。

プロ入り後は「常に先発ローテーションの一角」に

 つまり、常に先発ローテーションの一角として、先発投手に課せられた「相手に先取点を与えない」という使命をほぼ全うしてきたということだ。

 右肩、ヒジ、腰……故障と付き合いながら、投手陣の中心として働き続けた千葉ロッテでのプロ野球生活。

 右肩ベネット骨棘(こっきょく)切除術、後方関節包解離術、関節唇(かんせつしん)クリーニング術……この10月、来季以降の復帰を目指して、石川投手が行った手術も、報道では、なんのことやらよくわからない難解な術式が並んだ。

【次ページ】 球界随一の「技巧派」がプロ生活で培ってきたものは…?

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