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「3年後に結婚したい」藤波辰爾夫妻が振り返る“深夜0時のプロポーズ”…日本初アイドルレスラーの結婚は、会社を揺るがす大騒動だった

posted2023/11/22 11:05

 
「3年後に結婚したい」藤波辰爾夫妻が振り返る“深夜0時のプロポーズ”…日本初アイドルレスラーの結婚は、会社を揺るがす大騒動だった<Number Web> photograph by 東京スポーツ/アフロ

藤波辰爾と伽織夫人。1981年、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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東京スポーツ/アフロ

 プロレス界のおしどり夫婦と言えば、真っ先に思い浮かぶのが藤波辰爾・伽織(かおり)夫妻だ。1981年の結婚当初から美男美女カップルと呼ばれ、メディアにも数多く取り上げられたふたり。80年代には、当時流行りのパステルカラーのファッションでバラエティ番組などに出演し、そのプロレスラーらしからぬ服装をつっこまれると、毎度お約束のように「妻のコーディネートです」と満面のドラゴンスマイルを浮かべていたことを憶えているオールドファンもいることだろう。

 近年は“キッチンナビゲーター”の肩書きを持つ伽織夫人がプロデュースする食品ブランド『藤波家の食卓』が、有名百貨店の催事場で販売イベントを行う際は夫婦揃って接客するなど、いまも仲睦まじい姿を見せている。

 筆者はいまから6年前、藤波辰爾がデビュー45周年を迎えた時、プロレス誌『KAMINOGE』(65号)で藤波夫妻にインタビューしている。11月22日、いい夫婦の日にちなんで、その時におふたりが話してくれた馴れ初めを紹介したい。

アイドルレスラー人気爆発…夫人も最初はファンだった

 もともと藤波辰巳(当時)といえば、日本初のアイドルプロレスラーだった。

 1978年1月23日、ニューヨークの殿堂マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)で組まれた、WWWF(現WWE)ジュニアヘビー級選手権試合。新日本プロレスから海外武者修行中だった藤波は、カルロス・ホセ・エストラーダに世界初公開の必殺技ドラゴンスープレックスを決めて勝利し、見事王座を獲得。24歳の無名の若者がMSGという世界の檜舞台でチャンピオンとなる姿が金曜夜8時の『ワールドプロレスリング』で録画放送されると、多くの人たちの感動を呼び、藤波は一夜にしてスターの仲間入りをはたした。

 そして同年3月にチャンピオンとして3年間の海外遠征から凱旋帰国すると、その端正なルックスと俊敏な動きで、女性や子供のファンを新たに開拓し“ドラゴンブーム”を巻き起す。とくに若い女性が会場に詰め掛けるのは、新日本プロレスでは藤波が初めてのことだった。

「凱旋帰国してみたら、驚くことに全国どこの会場に行っても追っかけのファンで黒山の人だかりなんですよ。バレンタインデーの時なんかチョコレートが段ボール20個分くらい届いて、事務所に置き場がなくなっちゃったんだから」(藤波)

 こうしてアイドルレスラーとして人気が爆発した藤波辰爾。伽織さんも当初はそんな藤波ファンのひとりだった。藤波との出会いをこう語る。

「弟がプロレスが好きで、『ニューヨークでチャンピオンになったカッコいい人がいるから、お姉ちゃん一回見てみな』って言われて、会場に連れて行かれたんです。それで藤波を見たときに、髪は七三分けでスリムな肉体でリングに登場して、私が抱いていたプロレスラーのイメージと違うので、『こんな人がいるんだ』と思って。また試合スタイルもいままでにないものでキレイだなと思って、そこからファンになって大阪スポーツ(東京スポーツの大阪版)を毎日買うようになり(笑)。その後、『月刊プロレス』や『ゴング』も毎月本屋さんに予約して買うようになったんです」

【次ページ】 夫人が明かす「ナンパされたんです(笑)」

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