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「僕はたぶん、猪木さんに対して怒っていたんですよ」 アントニオ猪木の張り手に、デビュー4年目の棚橋弘至が“睨み返した日”の真相 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2023/10/05 11:02

「僕はたぶん、猪木さんに対して怒っていたんですよ」 アントニオ猪木の張り手に、デビュー4年目の棚橋弘至が“睨み返した日”の真相<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

ドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』にも出演している棚橋弘至

「僕はたぶん、猪木さんに対して怒っていたんですよ」

――新日本札幌大会(2002年2・1北海きたえーる)での有名な「猪木問答」は2000年以降の新日本の一つの分岐点であり、今回、映画『アントニオ猪木をさがして』でも重要なシーンとして出てきましたけど、あの日をあらためて振り返っていただけますか?

棚橋 僕はたぶん、あのとき猪木さんに対して怒っていたんですよ。新日本の選手を総合格闘技に出させたり、逆に総合の選手を新日本に上げたりとかしていたので、「全然試合面白くねえじゃん。混ぜんなよ」「プロレスラーだったらプロレスで勝負させてくれよ」っていう思いがあったんです。だから猪木さんが、リングに上がった選手ひとりひとりに「お前は何に怒ってる?」って聞いて回られたとき、僕の本音としては「俺はあなたに怒ってるよ!」だったと思うんですよね。

 ただ、当時ヤングライオンに毛が生えたぐらいの僕が「あなたに怒ってます!」なんて、とても言える空気でもなかったし。「なにに怒ってる?」っていう問いに正解はないので、僕は猪木さんの質問にそのまま答えちゃダメだと思って、「僕は新日本プロレスのリングでプロレスをやります!」って返したんですけど。質問の答えになっていないながら、猪木さんはちゃんと受け身を取ってくれて、「まあ、それぞれの思いがあるから、それはさておき」って返されたとき、「さすがだなあ……」と思って(笑)。

猪木を睨み返した棚橋の思い

――あの時、中西学選手、永田裕志選手、鈴木健三(KENSO)選手もリングに上がりそれぞれ答えてましたけど、棚橋さんだけは猪木さんの土俵で勝負しなかったわけですよね。

棚橋 そうですね。だから、猪木さんの張り手を喰らっても僕は絶対に目をそらなかった。あの張り手のシーンの映像をもう一回見てほしいんですけど、パーンと喰らったあとに首を持っていかれそうになりながら、持っていかれないように睨んでますから。「俺はあなたに怒ってます!」と言えなかった分、張り手を喰らっても絶対にノーダメージで睨み返してやろうと思ってたんで。

――それがある意味、棚橋さんがのちに新日本を牽引していく原点にもなりましたか?

棚橋 どこかでなっていると思いますね。でも、今あらためて考えてみると、猪木さんが格闘技のほうに行ったのは、「俺はこっち(格闘技界)で盛り上げていくから、お前らはお前らで盛り上げてみせろよ」とプロレス界に猶予期間をくれたんじゃないかなって。だからのちに、敵本陣に一騎駆けする武将みたいなイメージで猪木さんを捉えるようになりましたね。

〈インタビュー後編では、道場に飾られていた“猪木の等身大写真パネル”を棚橋が外した理由、新日本を背負う男の覚悟について明かされる。後編につづく〉

#4に続く
棚橋弘至が“アントニオ猪木の等身大パネル”を道場から外した日「都合のいい話ですが…」新日本のエースが告白する“歴史の分岐点”の話

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