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「僕はたぶん、猪木さんに対して怒っていたんですよ」 アントニオ猪木の張り手に、デビュー4年目の棚橋弘至が“睨み返した日”の真相 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2023/10/05 11:02

「僕はたぶん、猪木さんに対して怒っていたんですよ」 アントニオ猪木の張り手に、デビュー4年目の棚橋弘至が“睨み返した日”の真相<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

ドキュメンタリー映画『アントニオ猪木をさがして』にも出演している棚橋弘至

――あの試合の猪木さんは、引退する2年前とは思えない体の張り方なんですね。

棚橋 投げっぱなしジャーマンで頭から垂直に落とされて、「死んだ!」と思いましたもん。あの角度で落ちて、よく生きてるなと。

――受け身に定評がある、いまの棚橋さんから見ても驚きですか?

棚橋 いやー、あの角度は絶対に喰らいたくないですね。ましてや20代、30代ではなくて、あのときの猪木さんはもう50代ですよ。すごく体がやわらかいから受けられたんだと思いますけど。たしかに身体を張ってますよね。

――あの日のメインイベントは、武藤敬司vs高田延彦の再戦という重要な試合にも関わらず、終わってみれば猪木vsベイダーしか憶えてないという。

棚橋 そうなんですよ。みんなあれしか憶えてないんですよね(笑)。それぐらい猪木さんは現役最晩年まで、試合に出ればすべてを持っていく人だったんでしょうね。

「お疲れ様でございます!」「疲れてねえよ」

――棚橋さんが新日本に入門されてから、猪木さんに対する印象は変わりましたか?

棚橋 僕が入門した頃、猪木さんはあまり道場には来られなくて、初めてお会いしたのもどこか地方でのビッグマッチの控室でしたね。僕は新人で、周りは大先輩だらけでしたけど、その中でも猪木さんと坂口征二会長(現・相談役)だけは特別で、「お疲れ様です」じゃなくて「お疲れ様でございます」と挨拶しなければいけなかったんです。

 なので僕も「お疲れ様でございます! このたびデビューさせていただきました、棚橋です!」って緊張しながら挨拶をしたら、猪木さんが笑いながら、「疲れてねえよ」って言ったんで、「かっけー!」と思って(笑)。だから僕が「生まれてから疲れたことがない」って言い始めたのは、たぶん「お疲れ様でございます!」に対して、「疲れてねえよ」と言った猪木さんの言葉が頭に残っていたんでしょうね。

 2012年の1・4東京ドームで鈴木(みのる)さんに勝ってIWGPヘビー級王座を防衛したあと、凱旋帰国したばかりのオカダ(・カズチカ)がリングに上がってきて、「棚橋さん、お疲れさまでした。あなたの時代は終わりです」という意味合いのことを言われたとき、パズルのピースがガチッとはまって、「悪いな、オカダ。俺は生まれてから疲れたことがないんだ」って言ったら、それが代名詞になって。それからは疲れられない十字架を背負ってしまったんですけど(笑)。それも、元は猪木さんだったんだなと。

――新日本のトップは疲れられないという、ある意味で棚橋流の猪木イズム継承ですかね。

棚橋 猪木イズムだったのかもしれないですね。やはりトップは痩せ我慢が必要だし、猪木さんもどれだけ借金を背負って苦しくても笑っていらっしゃったし。「どうってことねえよ」精神ですよね。

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