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『おかあさんといっしょ』“誠お兄さん”が“体操選手・福尾誠”だったころ 肩のケガ、辛いリハビリ、勝てない「天才」…それでも五輪を夢見たワケ  

text by

雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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photograph byYuki Suenaga

posted2023/09/28 11:05

『おかあさんといっしょ』“誠お兄さん”が“体操選手・福尾誠”だったころ 肩のケガ、辛いリハビリ、勝てない「天才」…それでも五輪を夢見たワケ <Number Web> photograph by Yuki Suenaga

『おかあさんといっしょ』第12代目「たいそうのおにいさん」だった福尾誠。かつては日本代表を目指すトップ体操選手だった

「内村さんは当時高校3年生で、もうトップ中のトップ選手でした。会場練習から見ていてどんな演技をするのか楽しみにしていたのと、自分とどれくらい点数の差がつくのかも少し楽しみでした。確かその日は6種目全部で優勝したんですよ。予選会なのでフル構成ではやってない。力を抑えてやってるのに、自分が全く手が届かない点数を出していて、それは大きな衝撃でした」 

 その後、ナショナルトレーニングセンターでは、すでに大学生になっていた内村と一緒に練習する機会もあった。その動きは練習中から見惚れてしまうほどだったという。

「体操って採点競技なので見栄えや美しさを人間が見て評価するんですけど、内村さんはいつも同じことができる。試合によってバラつきがない。演技を見ただけでどれだけの練習を積んできたのかが分かるんです。

 そして、繰り返し同じようにできるんですけど、機械のように動いているわけではなくてすごく滑らかで美しい。かつ簡単に大技をこなす。必死こいて大技にチャレンジをしている僕みたいな人間と簡単に大技をやってのける彼では、やっぱりちょっと格が違いました」

 並外れた努力を重ねるトップレベルのアスリートだからこそ、努力だけでは辿り着けない境地を感じることができるのだろう。その境地に立っている者のことを天才と呼ぶのかもしれない。

「もうファンでした。この人には追いつけないなって。競技者としてこんなこと言うのはよくないけど、勝とうと思ったことは……正直ないですね」

 他の選手にはメラメラと対抗心を燃やす福尾が、内村に対してだけは3学年離れていたことに安堵した。高校、大学というカテゴリーで出場大会がほぼかぶらずに済んだからだ。そして、競り合う気持ちよりも別の思いが芽生えた。

「内村さんに勝てなくてもチーム戦で一緒に戦うことはできる。だから一緒にチームを組めるようになりたい」

高3のインターハイは個人総合で全国準優勝

 刺激的な環境に身を置くうちに、競技力はグングン伸びていった。高校2年のインターハイは個人総合16位。それが3年生に上がる直前の選抜大会では2位、そして、3年の夏のインターハイでも2位となった。特に跳馬は上位の出場者では唯一の16点台とずば抜けたスコアを残した。

「足を使う競技、床と跳馬が特に得意でした。他の選手と比べても体操競技では身長が高い方だったので、吊り輪とか力技が必要なものは少し苦手。ただ、表彰台に立ってメダルをもらえるのはすごく嬉しいですけど、2位ですよ? やっぱりもう一つ上に行きたかったです」

 高校を卒業して順天堂大学に進学したのが2010年。大きな目標としてきたロンドン五輪は2年後に迫っていた。ところが、この年の福尾は世界選手権の選考会を兼ねた春先の全日本選手権やNHK杯には出場していたものの、8月のインカレは欠場している。

【次ページ】 大学での故障と手術、リハビリ…ロンドン五輪は断念

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