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大谷翔平「力になれなくてすみません」…東京の名将2人が振り返る、大谷が高校生だった頃「あんな低い弾道であそこまで飛ばすのか」

posted2023/08/21 06:00

 
大谷翔平「力になれなくてすみません」…東京の名将2人が振り返る、大谷が高校生だった頃「あんな低い弾道であそこまで飛ばすのか」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

高校時代の大谷翔平。対戦した帝京元監督の前田三夫氏とU-18日本代表で指導した日大三元監督の小倉全由氏がその印象を明かす

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前田三夫+小倉全由

前田三夫+小倉全由Mitsuo Maeda & Masayoshi Ogura

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 メジャーリーグで大活躍を続けている大谷翔平。高校時代の大谷と対戦した帝京元監督・前田三夫、そしてU-18日本代表で指導した日大三元監督・小倉全由。『高校野球監督論』(双葉社)より、2人の名将が語り合った“大谷論”を抜粋して紹介する。(全3回の1回目/#2#3も)

見えなかった大谷の打球

前田 今でも印象に残っている選手の一人に挙げられるのは、なんと言っても大谷翔平(花巻東〔岩手〕― 日本ハム・2012年ドラフト1位。現・ロサンゼルス・エンゼルス)だよ。

小倉 前田先生が対戦されたのは、彼が2年生のときでしたね。

前田 そう。彼とは2011年夏の甲子園の1回戦で対戦したんだけど、当時は「投手・大谷」以上に「打者・大谷」のほうがすごいと感じた。うちとの試合では「3番・ライト」で出場したんだけれども、2回に二死一、二塁という場面で彼に打席が回ってきたとき、セカンド方向にものすごい当たりを打ったんだ。セカンドを守っていた阿部健太郎(東洋大―NTT東日本)がジャンプして捕ったんだけど、私には大谷の打球が見えなかった。

小倉 そんなにすごい当たりだったんですか。

前田 6回の第4打席ではレフトに打った打球がフェンスに直撃、「あんな低い弾道であそこまで飛ばすのか」と衝撃を受けたね。それよりも20年前の1991年、秋の明治神宮大会で決勝まで進んだときの相手が石川の星稜だったんだけれども、当時騒がれていた松井秀喜(巨人・92年ドラフト1位)の打球ですらそんなことはなかったし、池田のやまびこ打線の各打者の迫力とも違う。とてつもなくスケールの大きい打者だということを感じたね。

順調に育ったらどんな選手になるんだろう?

小倉 高校2年生の段階で、すでに身体能力がずば抜けていた、と。

前田 試合は7対7の同点で、7回表のうちの攻撃の二死一、三塁という場面で、4番の松本剛(日本ハム・2011年ドラフト2位)が勝ち越しとなるライト前へのタイムリーを打って、その1点を守り切って8対7で勝ったんだ。松本がタイムリーを打った投手が大谷だったんだけれども、当時は投手としては未完成な部分が多いように私の目には映っていた。

小倉 今でこそ体重が100キロに迫っていますが、当時は70キロ台中盤ですからね。野球の技術はもちろんのこと、肉体的にもまだまだ成長の途上段階だったんでしょう。

【次ページ】 大谷が寄せ書きに記したメッセージ

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