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「フェイクニュースではないのか?」記者席は騒然…イチローの“ヤンキース電撃トレード”とは何だったのか?「怖いですよ」当時38歳の決断 

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笹田幸嗣

笹田幸嗣Koji Sasada

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posted2023/07/22 11:00

「フェイクニュースではないのか?」記者席は騒然…イチローの“ヤンキース電撃トレード”とは何だったのか?「怖いですよ」当時38歳の決断<Number Web> photograph by JIJI PRESS

電撃的なトレードでマリナーズからヤンキースへと入団したイチロー。当時38歳での決断だった

 西地区最下位、勝率.433だったマリナーズからア・リーグ最高勝率.600の伝統球団ヤンキースへの移籍をイチ流のジョークで表現した。するとある記者は「強いチームへの移籍願望があったのか」と問うた。それにはこう返した。

「もちろん希望は、ね。ありますけど、ただ、こうでなくてはいけないというのはありませんでした。僕のことを必要としてくれるチームということが大前提でした」

 01年の入団時から10年連続でシーズン200安打の金字塔を打ち立て、オールスターにもゴールドグラブ賞にも10年連続で選出された。しかし、11年シーズンは全てが途切れた。12年は再出発と位置付けたが、移籍前日までに残した打率は2割6分1厘。移籍志願の目的は「勝ちたい」ではなく、環境を変え、自らを覚醒させることにあった。

イチローの電撃トレードとは何だったのか?

 1995年の野茂英雄の挑戦以降、日本人選手で米国を騒然とさせたトレードとして、イチローのヤンキース移籍を上回るインパクトはない。イチローは移籍後、227打数73安打、打率.322の成績を残して輝きを取り戻し、地区優勝にも貢献した。オフには39歳の年齢でありながら伝統球団との2年契約をも勝ち取った。

 イチローにとってはまさに野球人生を賭けた挑戦だった。そのチャレンジと向き合い、切磋琢磨を続けた結果が45歳までのプレーを可能とさせた。そして、その直向きな努力の先に待っていたもの――。それが最も愛着あるマリナーズで現役を終えるというご褒美だった。

 本人には多くの紆余曲折もあっただろう。だが、志願のトレードとなれば、果たすべき責任は多い。その戦いにイチローは勝った。順風満帆な若い時代に得たものよりも遥かに大きい貴重な財産となったことだろう。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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