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「日本人だから高校で野球はできない」日本ハム・加藤豪将がアメリカで経験した“周りと違う扱い”…人生を変えたイチローの存在「アメリカ人の中で…」
posted2023/06/12 11:01
text by
四竈衛Mamoru Shikama
photograph by
JIJI PRESS
今季ドラフト3位で日本ハムに入団した“逆輸入ルーキー”加藤豪将。アメリカの野球界で日本人選手として奮闘を続けてきた加藤の原点には「イチロー」があったーー。
20歳当時のインタビュー、<米国育ちの“日本人”として>加藤豪将 「僕の野球で、メジャーへ挑む」(2015年1月22日発売、Number870号掲載)を特別に無料公開します。(全2回の第2回/前回は#1へ)※肩書はすべての当時のまま
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イチローとの出会い
米国生まれとはいえ、加藤は日本人を両親に持ち、3歳から5歳まで日本で暮らした。小学校入学当時は英語が話せず友達も少なかった。野球経験のある父の影響もあり、ティースタンドの上のボールを打ってプレーする「Tボール」を始めたが、拙い英語しか話せない日本人の少年は学校でも嫌な思いをすることが少なくなかった。
そんな加藤少年の意識を大きく変えたのが、当時マリナーズで活躍していたイチローだった。2002年7月には、本拠地シアトルで試合を観戦。屈強な大型選手が居並ぶメジャーの世界で、走攻守に際立つプレーを披露するイチローの目映いばかりの姿は、当時7歳の加藤少年に強烈なインパクトを与えた。
「イチローさんを見て、本当にすごいと思いました。アメリカ人の中で一人だけ日本人が輝いているというのは、学校ではなかったことです。それを見て人生が変わったというのはあります」
日本人だから高校で野球はできない
多様な人種が混在する米国にマイノリティ(少数民族)が暮らすうえで、我慢や忍耐が必要な場面は、今でも少なくない。極論すれば、加藤少年にとって野球のグラウンド上で結果を残すことが、米国社会への挑戦でもあった。